「ごめんなさいね」
華奢なティーカップを揃いのソーサーに置いて、彼女がひゅっと眉をひそめます。この方がそうすると、どうしてだか随分痛々しげに見えたので、私は淹れてもらったコーヒーと共に、息を静かに飲み込みました。
案内された彼女の家は、踏切からそう遠くない場所にありました。どうやらここの一帯は別荘地らしく、民家らしい民家は見当たりません。豪奢な作りのログハウス風の家が、点々と建っているものの、人気のないさみしげなところです。事実、住んでいるのは彼女だけで、他の家主は夏や秋のシーズン以外は滅多に来ないと、道すがら話して頂きました。ほとんど独り言のように、ぽつり、ぽつりとでしたけれども、一言一言が私の中に残りました。
「さっきは、笑ったりして。……悪かったわ」
なんと言ったらいいのかわからず、私は黙っていました。さきほどはあんなにも腹立たしかったのに、今ではそのことすら私の中で咎められる思いでした。
なんてさみしい顔をする方でしょう。なんてさみしい部屋なんでしょう。角度が浅く調節されたブラインドから、真昼の光が差し込み、室内は暗くはなかったのですが、決して明るくはありませんでした。敷き詰められた絨毯は上等なものでしたし、腰掛けているソファの座り心地も素晴らしい。ですが、この部屋には、生活感というものがないのです。どこか空気が薄暗いのは、そのせいかと思われました。
それに――壁一面が本棚になっていて、おびただしいほどの書物が詰め込まれています。実に異様でした。部屋の端から端、床から天井――本当に、壁一面を使っているのです。そこに、隙間なく、びっしりと本が収まっているのです。
「一生分の本よ」
私が見ていたのがわかったのでしょう、目だけで微笑んでそう言われました。
「……確かに、それくらいの量はあるでしょうね」
彼女が座る対面のソファ、その脇のサイドテーブルには本が数冊詰まれていて、一冊だけ別に置かれていました。読み途中の本なのでしょう。
「あなたは、本を読む人かしら?」
「ええ。休日は、読書をして過ごすことも多いです」
「そう。すきなのね」
――うらやましいわ。
……確かにそう聞こえました。硬直する私をよそに、彼女は立ち上がって歌うように言います。
「ねえあなた、いつも何を食べているの」
「はい?」
「昼食に付き合ってくださらない。お詫びも兼ねて」
「いえ、そんな、お構いなく、こうしてコーヒーも頂いているわけですし、」
しどろもどろに返答すると、またしても赤い唇が、ゆるりと笑みを作ります。
「だめよ」
きっぱりとした、妙に力強い声です。
「あなた、疲れているもの。顔でわかるわ」
くすくす笑う彼女に、私はぐうの音も出ません。
仕方なく、普段はこれこれこういうものを食べています、好き嫌いやアレルギーは特にありません、そう告げると、彼女は快諾してキッチンへと消えました。
「ベジタリアンなのかしら……」
去り際の独り言が何を意味するかは、私にはわかりませんでしたが。
昼食は不思議と和やかでした。スープも茸のソテーも香り高く上品な味でしたし、パンだけは毎朝焼いているの、と誇らしげに出されたそれは、木の実が練り込まれ食感も楽しく、とても美味です。
「ブラボー! 貴女の料理はとても美味しゅうございます」
感激しきる私に、彼女は可笑しそうに「やあね」と笑っていました。
「ご馳走様でした」
「はい。おそまつさまでした」
食後のお茶を飲みながら、「久しぶりだったわ」と彼女が呟きます。彼女はどうも、一人で暮らしているようでした。それも、長い間。――邪推してしまいそうで、私は頭をふりました。
「あなたを駅まで送っていくわ」
「……何から何まで、申し訳ございません」
「いいのよ」
不思議な声です。嬉しそうでもつまらなそうでもなく、そのまますとんと、なんでもなさそうに響く声です。
「ただのお礼よ」
キーをとってくるわ。そう席を立つ彼女に、私は聞きそびれてしまいました。
――なんのお礼でございますか、と。