ガレージに仕舞われていたそれは、とても無骨な車でした。彼女にはあまりに不似合いな、車輪がやけに大きな四輪車です。初めて見る車種に目を見張り、足を止めた私でしたが、彼女がするりと運転席に乗り込むので、慌てて後を追いかけました。わざわざ後部席に移るのも可笑しいと思い、助手席へ。私が疎いだけかもしれませんが、とんと見かけぬ車です。外国車、でしょうか。
シートベルトを締め、右よし、左よし、と確認してしまうのは、最早職業病と言われても仕方ありません。あなたはほんとに真面目ねえ、としみじみ呟き、彼女がキーを回しました。もちろんほめてるのよ――そう付け加えながら。
車を発進させてすぐ、彼女は笑いをこぼします。
「きっと、いってらっしゃいって言ってるのね」
私は首を傾げ、ふっと視線を走らせた瞬間。
センターミラー越しに、目がかちりと合いました。
――心臓が跳ねたのは、恐らくは驚いたからでしょう。妙齢の女性に、こう言っては失礼になるでしょうか。屈託のない、まるで少年のような笑顔でした。
「なかよしなのよ」
断片的な情報が多く、わかりかねます。すると彼女はハンドルから片手を放し、人差し指を立て、そのままくるくると回しました。上、でしょうか。あるいは、空。
瞬間、影が道を横切った……ような気がしました。嗚呼、きっと、彼女には鳴き声が聞こえていたのでしょう。放して育てているのかもしれません。たとえば鳥使いと呼ばれている者達の間では、珍しいことではないのです。大空に羽ばたいてこそ、彼彼女らの魅力が最大限に引きだされるのですから。
「ちょくちょくわたしを叱りにくるの。家にばかり籠っているんじゃありません、てね」
「おや。それは賢明なアドバイスでございますね」
「あら、ひどい」
おどけた物言いに、思わず笑みが漏れました。いつの間にか、寛いだ心持になっていたのです。彼女にも大切なパートナーがいるということは、単純に喜ばしく、親近感を抱くには十分すぎることでした。
それにしても、彼女の言った通り、本当に辺鄙なところです。呆れるほど森しかなく、車は延々と緑のトンネルをくぐってゆきます。
車内はとても静かです。運転の丁寧さを表す、確かな証拠に他ありません。
……安心してお任せできると、うっかり気が緩んでしまったことが敗因でしょう。
「そろそろ着くわよ」
「――はっ」
声をかけられて初めて、自分の意識がまどろんでいたことに気づきました。
慌てて顔をあげ、
「せいたかのっぽねえ……」
……天井に、頭を強か打ち据えるはめになりました。変わらず平素に、しみじみ呟く声が、かえって恥ずかしゅうございました。
浅い眠りから一瞬で覚醒した時特有の、胃が委縮して、冷や汗が出る思いで一杯です。
「も、申し訳ございません……! 食事を振る舞って頂いただけではなく、こうして送って頂いているというのに、うたた寝など……!」
「はいはい、着いたわよ。降りてちょうだい」
あなをほるとは、今こそ使うべきではないでしょうか。弟のパートナーに教わるべきではないでしょうか。いいえ、是非私は教わるべきです。
顔を隠すように帽子のつばを下げ、車から降りました。さあっと吹き抜けていく風は心地よかったですが、頬の熱までは奪っていってはくれません。
車の鍵をかけたらしい彼女が私の横に立ち、なんてことのない声で告げました。
「ほら、ここよ。×××××駅」
「え?」
――胃が、委縮して、冷や汗がどっと出ました。私は、夢でも見ているのでしょうか。
視線の先では、広がる駐車場を従えて、立派な駅が建っています。タクシーや、バスのロータリーもありました。閑散としていて、人気は全くありません。
くらりと眩暈がして、片膝は、あっという間に地面につきました。彼女が何か叫んだようでしたが、私の耳に、それは届きませんでした。
――カン、カン、カン、カン。
あの時の警告音が蘇ります。
あれは、聞き覚えがないものでした。
では遮断機は? 線路は? 信号機はどうだったか!
何故? 何故?
これは、何を意味するのか?
私に――見たことも、聞いたこともない駅など、あるはずがないのです!