あれから一週間。
 いつもの業務を規則正しく切り回しながら、時折、彼女のことを思い浮かべておりました。ほんの時々に、でございます。淹れたてのコーヒーの匂いが鼻に届く、昼食のパンをちぎり口に運ぶ、読みかけの本の栞を挟んだ頁から開く、さっと空を翔る鳥の影を見る、たとえばそのような時に。
 ふと、よぎるのです。音が、鳴り響くのです。
 ――カン、カン、カン、カン。
 ――カン、カン、カン、カン。
 けれど、疑念は疑念のままでした。
 何故なら、私はあの踏切へ、もう一度たどり着くことが出来なかったのです。

「ぼくらの家、着いちゃった!」

 弟と肩を並べ、こんなにじっくりと歩いたのはいつ以来でしょう。彼も私と同じく移動手段と言えば専ら電車で、仕事でも電車に乗りますので、新鮮な気持ちで歩いているように見受けられました。やや雲は多かったものの、概ね晴れた空と爽やかな朝の空気が素晴らしゅうございます。左手に線路、右手に森。ごくごく普通の徒歩による帰路でした。やがて最寄り駅と、その手前にある私達の家が見え、そのまま、呆気なく帰宅となりました。
 見慣れた自宅の扉の前で、思わず呟いてしまいます。

「……着いちゃった、でございますね」

 前回と同じように、最寄り駅の一つ前で下車し、線路沿いに歩くこと一時間。やはり、私が予測した定刻通りです。地形に合わせてわずかに曲がりくねる線路であっても、分かれ道もありませんから“まっすぐ”歩いたはずでした。そもそも、私達の最寄り駅は終点にありますので、まさか通り過ぎたわけでもありません。
 当然です。線路沿いに歩けば、当然のことなのです。
 全く納得しかねます!

「申し訳ございませんクダリ。折角付き合って頂いたのに」

 もう一度歩いてみようか思います、そう相談したところ(報告、連絡、相談は私達の常でございます)、「ぼくも!」と挙手と共に同行を名乗り出てくださったクダリですが、さすがに少し疲労の色が見えました。結局、該当する踏切は見つけられなかったので、目的達成にはならなかったのですが、

「ううん、ぼく、ノボリについてくって言った。それに、楽しかった!」

 クダリが鍵を開けながら上機嫌に言いますので、謝辞を「ありがとうございます」に代えることにしました。良き弟です。先に家へと入る背中を眺めながら、しかし、謎は深まるばかりでした。二人で歩いたことにより、どうして私があの踏切にたどり着けたのか、ますますわからなくなってしまったのです。踏切は何箇所かありましたが――あの音は、どこで鳴ることもなかったのです。
 何故、と考える頭を、あくびが邪魔をしてきます。いよいよ眠気が襲ってきました。今日のところは、一本道であることを再確認・再確定しただけに留めておくことにしましょう。
 ……ところで。
 サブウェイマスターとして従事する身、有難いことに、私達をご存知の方が多くいらっしゃいます。それとおそらく、単純に背が高いこと、双子で同じ顔ということも手伝って、どうにも二人でいると、随分と目を引くそうなのです。ですから、一人でいるよりも、二人でいる方が、バトルの挑戦を受ける頻度が増すように感じていました。
 愛する地下鉄にいなくとも、業務外であろうとも、挑まれた勝負を断ることなど出来ません。
 ポケモントレーナーとは、そう出来ているのです。

「ええ、いつも車内ばかりですから、また楽しゅうございました」
「ひさしぶりだったね、屋外のバトル」

 たとえ、またしても夜勤明けであろうとも。
 二人とも体力には自信がありましたが、一戦をしている間にまた一戦の申し込み、つまりちょっとした人だかりが生まれてしまい、かなりの連戦を重ねることとなりました。もちろん、バトルはどんな時でも全力です。非公式のものであっても、サブウェイマスターの誇りと威信にかけて、おいそれと負けるわけにもいきません。
 徒歩で一時間。ただしそれは、バトルの時間を除いての話です。
 合計すれば三時間かけての道のり。時計の針はすっかり進み、もうお昼時となっていました。
 いつもご乗車、ありがとうございます!

「ねむる? たべる?」

 帰宅して落ち着いたのでしょう。クダリはもう半分寝ているようなもので、瞼などほとんど閉じているのですが、それでも習慣としてコートを脱ぎ、帽子を外し、コートかけに吊るしていくので、妙に感心してしまいます。それが終わるのを待ってから、同じようにコートを脱ぎ、帽子を外し、コートかけに吊るしていって、ネクタイを緩めながら振り向きました。
 
「そうですね、何か軽く胃に入れてから仮眠いたしましょう」
 
 ネクタイに指をさし込んで引き抜く、その形で、私の体はいよいよこおり状態となったようです。まひ状態でも構いません。こんらん状態かもしれません。
 はたしてそこは、慣れ親しんだリビングではありませんでした。
 そこには――壁一面の、おびただしい数の本と。
 目を丸くさせ、こちらを注視する彼女の姿。
 
「…………こんな時、きゃあって叫べば、いいのかしら?」

 …………きゃあでございます!!