「みててね」
「おう」
プロイセンは、どっかりと腰をおろす。真面目な眼差しと腕を組んだそのポーズは、なかなか監督するには相応しかったが、膝に乗せているぬいぐるみが全てを台無しにしていた。そもそも、腰をおろした先は公園の遊具であって、台無しどころか土台すらなかった。可愛らしいペイントをされた子馬が、健気に加重に耐えている。
{{ namae }}がすべり台の上から手を振った。プロイセンが軽く応えてやると、嬉しそうに笑ったが、すぐにその小さな眉がきりりと引き締まる。前を見据えて、すべり台の、両脇についた手すりをぎゅうと掴んでいる。少しばかり、緊張しているようだった。着地先の砂場を睨んでいる。(安全面を考慮してか、すべり台は大きな砂場の中心に。プロイセンの座る子馬は、その円のすぐ外にあった。)
すう、はあ、と深呼吸。そして、
「きゃー!」
勢いよく身をすべらせて、無事に砂場へと降り立った。
足を揃え、両手をぴっ!と掲げ、{{ namae }}は誇らしげに笑ってみせる。そうしてすぐさま駆け寄って、
「みてた? みてた?」
「おう、みてたみてた」
褒めてやるぜー!
きゃー!
プロセインが頭をぐしゃぐしゃに撫ぜてやれば、また歓声がわいた。
“ひとりですべれるようになったの!”
それをみているようにと、小さな友人が言うので、プロイセンはその通りにした。
落ちたり、転んだり、多少なりとも怪我をする可能性はもちろんあったけれど、――それを、みているようにと、小さな友人が言うので。プロイセンは、その通りにしたのだ。
「ほらよ、」
「ありがとう!」
預かっていたぬいぐるみを手渡せば、それを抱きしめて受け取る彼女の体は、半分ほど隠れてしまう。なかなか大きくて、しっかりした作りのぬいぐるみだった。タグがないことから、手作りであることがわかる。世界にひとつしかない、彼女のいちばんのともだち。
「ねえねえ、この子もちゃんとみててくれた?」
{{ namae }}は、ぬいぐるみと顔を見合わせて頬ずり。どこにでも連れてゆくから、ところどころ毛並みはへたっているけれど、大事に大事にしていることがよくわかる、白い毛並みと、赤い瞳を持った、うさぎのぬいぐるみ。
「おう、もちろんだ。なかなかの監督っぷりだったぜ、まあ俺様ほどじゃないけどな!」
「わー! さすがおにいちゃん小鳥のようにー!」
「かっこー!」
「いいぜー!」
声を合わせればきゃらきゃらと楽しそうに{{ namae }}がはしゃぐ。
“おにいちゃん、わたしのともだちとそっくりね!”
そんな風に出会ったことが、プロセインには、つい、昨日――もしかしたら、ほんとうに昨日のことかもしれない――のことのように思い出された。
「あ、そうだ、あのねあのね、ぷせろいんのおにいちゃん、」
「だーから! 俺様はプロイセン!」
舌足らずの{{ namae }}が間違える度、プロイセンはしばしばこうして正していたが、
「ぷ……、ぷろ……」
「そうだ! あと一息! 頑張れ! お前なら出来る! さあ!」
「ぷろせいん!」
このように、意味を成さない。
「よっしゃ俺様今日からプロセイン!」
「きゃー!」
歴史が変わる瞬間だった。と言っても、今更改名したってそれを認めてくれる人が、世界中どこを探したっていないことくらい、わかっていたけれど。
ったくしょうがねえな!と勢い良く抱き上げれば、笑顔が近付く。だから、そのままくるくる回してみた。後ろの公園が、木々が、空が、回る。くるくる、くるくる、回る世界で、{{ namae }}の笑顔は、真っ直ぐにプロセインを見つめている。
先端を思った。
彼女が立つ、まぎれもない、時代の先端を。
そこに自分が立つことはない。
感傷でもなく、自虐でもなく、ただの事実として、彼女の笑顔はプロイセンを透かし、未来に向く。
「あのね、これ、おにいちゃんに」
すとんとおろされた{{ namae }}は、少し恥ずかしそうにして、一枚の手紙を差し出した。
うさぎの背中にはチャックがついていて、ちょっとした荷物を入れられるようになっている。
「おお? なんだよなんだよ、さっすが小鳥のようにかっこいい俺様だぜ! モテモテで困っちまうなー!」
「? モテてないよ?」
「えっ」
「モテてないよ?」
自意識過剰に勘違いしたプロイセンを、二度も{{ namae }}が斬る。
ちゃんとみてね?
……はい。
両膝を折ってしゃがみ込み、目線を合わせて、決してラブレターではなかった手紙を受け取った。
“ぷろせいんのおにいちゃんへ” “ぜひ、きて!”
なんとか、そう読めた。
紙面はちぐはぐでにぎやかだ。手伝ってもらったのだろう、場所や日時は端正な大人の字、宛名や短いメッセージはへたくそな子供の字。
手紙は、つまり、誕生日会への招待状だった。
「わたし、一つおねえちゃんになるんだよ」
そうか、
声にしたつもりがならなかったらしい。代わりに、誇らしげに胸を張る{{ namae }}の、小さな頭に手をのせる。
幼子が一つ、歳を重ねる。
それが、どんなに素晴らしいことか。
……その時、{{ namae }}は、びっくりして、すこうしだけ息を飲んだ。
どうしてって、それは、ぷろせいんのおにいちゃんが、こんなに、やさしくやさしく微笑むのを、見たことがなかったから。
「お、おにいちゃんのお誕生日は、いつ?」
どきどきしながら聞いたら、
「あー、昔すぎて覚えてねえなあ」
{{ namae }}はさっきよりもっともっとびっくりして、すこうしだけ、息が止まった。
「…………、…………そうなの?」
「おう!」
のんびり、今度はきっぱり。なんでもないように、ぷろせいんのおにいちゃんが言った。
誕生日は。
誕生日は、とても、とても、たいせつな日。
すくなくとも、自分が生まれたこの国では、そういうことだって。
ちいさな{{ namae }}にも、それくらいちゃあんとわかっていた。
うまれた日。
だいすきな人たちに、ありがとうを伝える日。
おにいちゃんはどうやって伝えるんだろう?
ケーキやごちそうを――{{ namae }}にはまだ、粉をふるったり、皿を並べたり、そんなことしか出来なかったけど――作って、ふるまって、パーティーを開いて。
“みんなのおかげで、こんなにおおきくなったよ”
“みんなのおかげで、ここにいるんだよ”
おにいちゃんは、どうやって、伝えるんだろう。
{{ namae }}には、わからなかった。
胸のあたりがもやもやして、息がしにくくなった理由も、{{ namae }}にはわからなかった。
似ているとしたら――、
迷子になってしまった時の、ひとりぼっちの気持ち。
「ぷろせいんのおにいちゃん!」
「うおあえっ?!」
がしっ!
ちいさな{{ namae }}に合わせて、しゃがんだままだったおにいちゃんの胸元を、勢いよく掴んだ。変な声が出たなんて、いつもだったら思いっきり笑っちゃうところだけど、今日はやめておいてあげる。
「これから毎日、おめでとうって、言っていい!?」
「はあ!? ま、毎日?」
「毎日!! ……あのね、お誕生日じゃないのに、はやくに言ったら、しつれいでしょ?
だから、ただおめでとうって、わたし言うの」
なんでもない日を、おめでとうって言うの。
うさぎさんに良く似た目が、まんまるになったのを見る。
{{ namae }}は笑う。プロイセンの目と目を合わせて、見すえて、真っ直ぐに笑う。
「でも、毎日言ったら、そしたらいつか、“おたんじょうびおめでとう”でしょ?」
今日何度目かの、「きゃー!」が公園に響き渡る。{{ namae }}は、自分よりうんと年上で、いちばんのともだちとよく似てる、白い髪と、赤い目を持つ、だいすきなともだちに抱きしめられたまま、こう囁いた。
「おにいちゃん、おめでとう」
それから会う度に、会う度に、{{ namae }}は繰り返す。
“おにいちゃん、こんにちは! おめでとう! 今日はなにしてあそぶ?”
“おめでとう! おにいちゃん、こんにちは!”
“ねえ、おにいちゃん、”
“――お兄ちゃん”
“プロイセンのお兄ちゃん!”
幼い習慣は、いずれ終わりを告げる日が来るだろう。
それでも、残る。
彼女の想いは、いつまでも、ここに残る。
プロイセンが忘れない限り。
「そう思っていた時期が俺様にもありました」
遠くから手を振る{{ namae }}を見て取って、プロイセンは呟いた。
「あ、おめでとう! こんにちは! いいお天気ね」
「よぉ{{ namae }}。相変わらずだな」
飽きもせず、忘れもせず、そりゃあもちろん毎日とはいかなかったが、それでも会う度、{{ namae }}は繰り返す。
おはよう、
こんにちは、
こんばんは、
ひさしぶり、
おめでとう。
まるで、最初から挨拶だったように。
「なんだ、買い物か? 随分な量だなおい」
大きな紙袋が、彼女の顔を半分覆い隠していた。{{ namae }}はもう、うさぎのぬいぐるみを持たない。
あのいちばんのともだちは、今では違う誰かの、いちばんのともだちになっている。そのことを、プロイセンは知っている。この前呼ばれた誕生日パーティーで、小さな{{ namae }}とそっくりのその子が、大事そうに抱っこしている所を見たばかりだ。
「あら素敵、荷物持ちができちゃった!」
「んだよそれ俺様のことかよ?!」
「そうよ、小鳥のように強くて優しくてかっこいい俺様のことよ?」
大荷物を抱えたままだというのに、誇らしげに胸を張ろうとするので、プロイセンは{{ namae }}から紙袋を奪い取る。
「そう言われちゃしょうがねーよな!!」
「でしょー!!」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑る彼女は、もうどこからどう見ても大人だけれど。
{{ namae }}の笑顔は、今日も真っ直ぐにプロイセンを見つめている。
「……ケセセ!」
「わっもうっ、頭ぐしゃぐしゃになるでしょ?! もう!!」
しゃがまなくても手の届く{{ namae }}の頭を、遠慮なく撫ぜた。
通りがかった公園では、たくさんの子供たちが遊んでいる。
あたたかな晴れの空の下、たくさんの笑い声が響いている。
「みててね」
「おう」
そうしていつか、きっとまた、さいごに彼女は言うんだろう。
ねえ、みてた?
おう、みてた。