あたたかな細胞

 草むらに足を踏み入れ、出会い頭に現れたのは一匹のメタモンだった。
 薄い紫色の軟体生物はもにゃもにゃと小さく鳴くと、瞬きするわずかな間でわたしそっくりに変身してみせた。初めてその変異を間近で目にしたことと、そのスピード、そのクオリティにわたしは驚いた。
 ここまで、とは、思っていなかった。肌や髪、着ている服の質感まで、寸分違わず変化しているように見えた。この生命体は、自分の体を、細胞を、なんだと思っているのだろう。“へんしん”することしかできない、ポケモン。生まれてから死ぬまで。
 ――かわいそう。(ほんとうに?)
 警戒したように“わたし”が引きさがる。ちゃあんと腕が二本もついているのに、振りかざそうともしない。人間に化けるのは初めてのようだった。姿かたちがそっくりだって、使えなければ意味がない。
「こう使うのよ」
 わたしは手を差し出した。ややして、同じように手が伸びる。
 掴んで、ぶんぶんと振り回す。自分と握手するなんて不思議な気分だ。
 にっこり笑ってみせると、へにゃ、と“わたし”が笑って、ゆるゆると変身を解いた。敵意がないことを悟ったみたいで、メタモンは足元できょとんとしている。――わたし、そんな風には笑えないよ。
 変身することでしか身を守れないメタモンは、変身で身を守れない・守る必要がないと判断すると、すぐに大人しくなる。結果、捕まえやすいポケモンではあると聞いていた。
 全て、自己防衛本能から来るもの。
「ねえ」
 しゃがみ込んで問いかける。意味を解することはないと知っていても。
「貴方は、なんなの?」
 つんつんと突く。表面はやわらかく、弾力があり、体温はあまり感じられない。血は通っているのだろうか。骨があるようには思えない。常に変化し得る細胞のつまった、小さな、薄い紫色の生命体は、ただわたしを見上げてもう一度ふにゃりと笑うだけだった。
 このパーツの少ない顔で作られる笑みも、生き残るための手段なのだろうか。そんなだから、乱獲され、育て屋に預けられ、よりよいポケモンを厳選するために利用されるのに。
 他種の繁栄の手助けすることが、この生命体の人生に思えた。
 それがどうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
「何にも成れる貴方は、何ものにも成れない」
 誰に向けて言ったのか。言葉にしたら、わからなくなってしまった。かなしい。わけもわからず、かなしい。ふと手の先でふるふるとメタモンの体がふるえた。変身する? そう思ったら、薄い紫がぐんにゃりとわたしに伸びて、それは手の形をしていて。
「え、」
 わたしの頬をなでた。なでるというにはぎこちない、触れただけの行為だったけれど。
 確かにメタモンは、その意思をわたしに示した。きっとこれは、“どうしたの?”――そう言っている。いつの間にか、わたしは泣いていた。
 ああ、かなしい。やさしくてかなしい。 貴方の存在は。
 モンスターボールの開閉スイッチを押して、メタモンの上に置いた。メタモンはたちまちその中に収まる。ボールはちっとも揺れなかった。わたしはボールを覗き込んで問いかける。
「……ねえ貴方、なに食べるの?」
 薄い紫色の生命体は、やっぱり、むにゃむにゃと笑うだけだった。