日々のなか

 あなたがすきです、と言ってみた。それも、なんの脈絡も、ロマンも転がってもないようなタイミングで。なにしろ二人とも、三角巾とマスクをつけている。彼女は箒を、私は雑巾を手にしていて、辺りは埃でたっぷりの空気で満ちていた。大掃除の真っ最中だったのです。それでも彼女は、一度動きを止めて――私には思考も停止したように見えました――、こちらを呆けたように眺めると、急に目くじらを立てて「手を動かしてください」とだけ。それはどちらにも言える台詞でしたが、彼女にもよくわかっていたことでしょう。私は素直に、木目にそって雑巾を走らせる作業に戻ります。廊下へと場所をかえる彼女を見送り、端から端へ駆け抜ける。雑巾がけは根気がいりますし、根性がなければ綺麗にもなりません。バケツでもみ洗い、その度にかたく絞る、を繰り返し、そうして床はぴかぴかになりました。「休憩しましょう」と彼女が言ったのはその時でした。新聞紙を持っているところを見ると、窓ふきでもしていたのでしょう。三角巾と雑巾を外し、手を洗い、うがいをし、リビングへ。「何がいい?」「では、紅茶を頂けますか」お湯がわくまで、しばらくの時間がありそうでした。昼下がり、洗濯機の回る音だけが聞こえます。カーテンを洗っているのです。薄い布一枚になった窓から、遠慮なく飛び込んできた日差しに、何度もまばたきをするはめになりました。ふふ、と対面の彼女が笑います。「ねむいんですか」「いいえ、眩しいのですよ」それは失礼、とばかりに目を見開かれては私も笑うしかありません。穏やかです。穏やかで、あんまり心が平らかなので、眩しいとねむいの区別など、どうでもいいように思えました。それからやかんが鳴いて、お湯がわき、おいしい紅茶を飲んでいると、「わたしも、あなたがすきですよ」ようやくお返事を頂ける。なんてことのない休日の、ちょうど三時のことでした。