春夏秋冬

 あ、光った。
 隣からうめき声が聞こえる。空から音がする度に、{{ namae }}さんは苦い顔をする。
 帰り道、今日の歩調は、いつもより早足だ。辺りは薄暗く、少し風も出てきた。ざわざわと木々が揺れている。一雨きたら、八分咲きの桜は散ってしまうかもしれない。残念だ。
 分厚い灰色の雲が、時折ちかっと光る。
「なんで、嫌いなんですか?」
 なんとなく聞いてみた。それ相応の理由があるんだろう、たぶん。
「大きな音とか、声とかも、まず苦手だし……」
「はい」
「……あとさ、神様におへそとられるって言うでしょ?」
「はい?」
 思わず聞き返してしまった、と感じた時には彼女はきっと俺のことを睨んでいた。
「今馬鹿にした? したね? したよね? しましたね!」
「う……」
 俺が謝ると、今も信じてるほど子供じゃないんですけど! と怒られた。 すいません。
 彼女は実に神妙そうな面持ちで、つぶやく。
「――おへそと内臓は、つながってるんだよ」
「……」
 無言で続きを促すと、{{ namae }}さんは少し黙って、それから早口で言った。
「おへそと共に内臓もっていかれると思うと、すっごく!! こわくない!?」
 正直その想像力に乾杯だ。
 俺が四の五の言う前に、さあ早いとこ帰ろう帰ろうとずんずん歩く後ろ姿。
「遅い!」
 くすくす笑ってると遠くの方で叫ばれたので、俺は走る。
 ぽつり、ぽつりと音がし始めていた。

「あついいー」
 間延びしただるそうな声がして、反射的にしょうがないなあとでも言いたげな顔を浮かべられる自分に呆れながら、俺は言う。
 「せんぷうきありますよ」
 言葉が耳に届いた時には、ああ気をつかわせるつもりはなかったのに、黙っていればよかったと後悔するけれど、それこそ黙って胸にしまって、わたしは素直にお礼を言う。
 「すみません」
 そうこぼした時点で失敗したなと眉をひそめても続きを言わなければならなかった。
(なにがと気兼ねなく聞いているようで既に身構えている彼女を前に。)
 「ええと、クーラー壊れてて」
 わざわざ謝るお人好しにしみじみ感心しながらさてどうしたものかと苦笑する。
(確かにクーラーは壊れていたけれど、それはちょたのせいじゃない。)
 「ばーか」
 こっそりと笑う気配がしたのでああやっぱりなあ、なんて笑うしかなく。
(言わなくていいことをどれだけ重ねて、どれだけ許されてきたのだろう。)
 「いいよ、せんぷうき、すきだから」
 ていねいに響くように気をつけてしまうと、可笑しくなってついにくくくと喉が笑う。
(つまりは思いやり合戦なのだ。)
 「あいらぶせんぷうきー」
 人工的な風に目を細め、言葉の全てに濁点をつけて喋る姿に、俺はくくくと笑ってしまう。
(つまりは思いやり合戦なのだ。)
  互いにこらえきれなくなったのがわかったので、夏だねって笑顔で言った。
(せんぷうきはそよそよと涼しくて、どちらかと言えばやっぱりすきだ。)
 たちまち頬がゆるんでいくのを感じて、俺も夏ですねと笑顔で言った。
(つまりなんで可笑しいって、二人ともその合戦に気づいているからだ。)

「読書の秋、って言うのは、おかしい」
 彼女が唐突に言葉を発するのはよくあることなので、俺もゆっくりと顔をあげる。
 手元には文庫本。{{ namae }}さんには緑茶。俺は紅茶。お茶菓子は、ない。本が汚れるからと言われて、それもそうかと思い直したのだった。一応、テーブルの真ん中に、お茶受け入れを置いていた。中には、おせんべいとクッキーが入っている。
「秋にしか読んじゃだめって言われてる気がする」
 見ると、眉をひそめたしょぼくれた顔をしている。確かに年中本を読む人にとっては、なんて不本意な言葉だろう。でもだからって、そんなかなしそうな顔しなくったって!
 あんまり笑うと可哀想なので、俺は少し考える。
 窓の外では黄色い落ち葉が舞っている。一見寒そうだけれど、セピア色の景色は、うらうらとあたたかい日射しにあふれていた。
「じゃあ、読書の似合う秋、というのはどうでしょう」
 それだ! とばかりに彼女の目がぱっと輝く。
「ちょた天才!」
「はい、よかったですね」
「ねむい!」
「寝ますか?」
「ひわい!」
「……本、合わなかったんですか」
「うぅ……」
 俺はお茶受け入れの蓋をあけた。ちょうどよく、時計の針は三時を指している。

 ふりそうだね、と{{ namae }}さんは空をみあげた。
 そうですね、と俺は{{ namae }}さんの横顔をながめた。耳と鼻と頬が寒さで赤く、りんごみたいで。雪を期待する目はきらきらしていて、子供みたいだ。
 視線に気づくと、{{ namae }}さんが俺をみあげる。目だけでなあにと聞かれたから、真似して目だけで答えてみた。にっこり、笑ってみせる。
 一瞬ぽかん、として、{{ namae }}さんの動きが止まった。
 そして急にそっぽを向いて。マフラーに顔をうずめると、すたすた歩き出してしまった。
 急がなくても俺の歩幅は、三歩で{{ namae }}さんの隣に追いついた。彼女の手をとると、とても冷たい。冬のうちに、手袋を買いに行こう。
 伝わりました? 問いかけても、知らない。一点張りに、俺は笑うしかない。
 手を繋いでしばらく歩く。寒いね、から始まって、肉まん食べたい、とか。コンビニに寄ろう。おでんもいいな。お茶は何を買おう。早くこたつに入りたい。こたつと言えば、鍋もやりたい。白菜はたっぷりね。味は何にしようか。だとか。
 他愛のないやりとりをしていたら、はらり、と。
 ついに雪がふってきた。
 わあ、 そう一声あげて、{{ namae }}さんはしんと黙った。見とれているのがわかったので、俺も、空をみあげた。
 真っ白な空から、真っ白い雪がふる。はらはら、ちらちら。
 言ったらきっと真っ赤なりんごが睨んでくる。そう思いながら、つぶやいた。
 さっきは、かわいいなって、言ったんですよ。