毛皮をぬぐ準備があるから、犬派になったらおしえてね。

 わたしが志半ばで死んだ時、次は何になりたいと神さまが聞くので、猫になりたいと答えたら、ちゃんと猫になった。にゃあお。やったぜ。母猫の乳首めがけて駆けるきょうだい間の母乳戦争もなんなく勝利を収め、五体満足であるし、じきにぱっかりと目も開いた。なかなか良好な猫生の幕開けだ。
 ちょうど四つ足に慣れた頃、満を持して一松はやってきた。
「………なあに、お前。新入りなの」
 やさし~~~~い。
 人前での一松を知っている誰かさんたちなら、思わずからかいたくなってしまうくらい。にやにやして、肘鉄の一つや二つ食らわしたくなるくらい。
 そういう、声。
「にゃふっふ」
「なんで笑うの……? ……お前、あれだね、{{ namae }}に似てる」
「んなぁう?」
「ずいぶん前に死んじゃったけど……遠いご親戚?」
「んなぁるるるぅわーーおわぁうなーーーぅるるるぅわぉん」
「なるほど……っていやそれ他人やないか~~い」
 一松はしゃがみ込んで、目線を低く、低くしてくれる。ただ通りすがるだけの人たちみたいに、すぐ抱き上げたりはしない。かわいい、と声高に叫んだりもしない。狭い、薄暗い、小汚い、三拍子そろった路地裏で、背中をまるめて猫に話しかける一松が、どう見えるかなんて、わかりきっているから。通りはざわざわしているけれど、嘘みたいに、だあれも来ない。
 一松は、静かとごはんを持ってきてくれる。
「あ、もうニボシ食えるんだね……何才、お前」
「なぁう」
「ふぅん」
 お乳を卒業してからうまれてはじめて食べる、一松の手から貰うニボシは、世界でいちばんおいしい食べ物だった。知ってる、知ってる、わたしはちゃあんと、知っている。
 食べている間、食べ終わった後、見守ってくれてる目線が、日向ぼっこのお日さまみたいに、あったかいこと。
「美味かった? そう、よかったね」
 よれよれのジャージの脛に頭をこすり付けると、ふへへって嬉しそうに笑ってくれること。そっと、人さし指が喉元のきもちいいところに差し込まれて、こしょこしょしてくれること。
「……お前、新入りのくせに態度でかくない? こうしてやる」
 こんな風にお腹を見せてごろごろしたら、毛の流れを逆になでられること、それから満足げに元にもどされること。これだから猫はやめられない。
 ひとに生まれたことは、一回もないけれど。
 もちろん母猫の乳首めがけて駆けるきょうだい間の母乳戦争にあえなく惨敗する時もあったし、五体不満足な時もあったし、目が開かない時もあったし、そもそも生まれてこれない時もあったし、とてもじゃないけど一松が見たり聞いたりしたら泡を吹いて絶命しちゃうような時もあった。そういう時もある。だってわたしたち、いきものだもの。
 その度に神さまはわたしに聞いてくる。次は何になりたい?
「……なあ、お前さ……」
 すっかりくつろいで、顔を洗うわたしに、一松がささやく。
 おそるおそる、こわごわ、そんな風に。
「……おれと、ともだちに、なってくれる?」
「にゃふっふふ」
「……なんで笑うの……」
 だって、そうでしょ。
 ここから見える猫的なものはみんなともだち、みたいな一松が、まさか一匹一匹、いちいちいつも聞いてるなんて、猫のわたしたちしか知らないんだもの。
 猫になりたい。
 この前も、そのまた前も、そのまた前の前も、そのまた前の前の前も、わたしは神さまにそう答えた。{{ namae }}が死んだきり、つまり、ずっとずっとずっと前のわたしが死んだあれっきり、一松は、わたしたちに名前をつけなくなったけれど。それでよかった。いつだって、どんなわたしでも、一松は呼んでくれるから。
 また、何度でも、きみのともだちに生まれてくるよ。
 返事の代わりに、頭とからだをにぐいぐい押し付けながら、一松のまわりを一周した。通りすがりざまに、尻尾でふわりと鼻をくすぐってあげた。それから、ぐるるぐるる喉を鳴らす。どういたしましてと、ありがとうを伝えるために。静かとごはんを、ありがとう。やさしい目と声と指にありがとう。この前は、志半ばのわたしに、お墓を作ってくれてありがとう。
 いつもいつも、ともだちになってくれて、ありがとう。
「……ありがと」
 でも、いつだって、お礼を言うのは一松の方で。
「にゃあん」
 わたしはぐっと体をのばして、一松のほっぺたをぺろりと舐めた。
「これからよろしくな」
 これからもずっと、ね。