ボクの羞恥心が致死量を超えた日
ヴオォエッッッッ……、
ぐんと意識が戻ってきて最初に感じたのはそんな吐き気。ええぇなあにこれえ? きっっっもちわっっっる。えっ? 尋常じゃなくない?? 死ぬかなボク???
(ぺち、ぺち。)
とにかく飲まされたことだけは覚えてる。ボクって実は灯油タンクだったっけ?ストーブの給油かな? ってくらいドップンドップン飲まされたことだけは覚えてる。他にも覚えてることはそれなりにあるけどぜえーーーーんぶ忘れたい。むしろ忘れよっ? ねっ?
(ぺち、ぺち。)
だから目は閉じたままだった。永遠に寝ていたい。このまま大の字で寝ていたい。そして大地と融合するんだ。この通りお酒はまーだまーだ残ってる感じだし、起き上がっても歩ける気がしないし? 動いたら吐くかもしれないし? そもそも全部夢であってほしいしぃ?
いや、もしかして、あれもこれも夢だったんじゃないかな。そーーだよね、そうに決まってる!
(ぺち、ぺち。)
………てかさっきからなんだろう、この音。
現実逃避で忙しいっていうのに。何もしたくない。ボクはこのまま地球と一つになるんだってば。
意識はとにかくふわふわFooしてる、わかるかな、酔っ払った時の世界がくるくるくるくる感じ、まあわかんない方が幸せだと思う、加えてこの吐き気だもんさ、思い出したらまた気持ち悪くなってきヴォエッ。
(ぺち、ぺち。)
耳に何か詰まってる気がして、よく聴こえない、わからない、でもすごく近いところで、音がする度に世界がちょっとだけ揺れる。
――――もしかして、叩かれてる?
そう思ってちゃんと意識してみると、ようやく、ほっぺたに軽い衝撃が伝わってきた。
ぺち、ぺち。
あ、これ叩かれてるわー、完全に叩かれてるわー。えー全然気づかなかったーやっばいねほんとー酔っ払いこわーいボクだけどー。うん、叩かれてるのはわかった。
でも、誰に?
まずおそ松兄さんから考える。有り得そうではあるけどさ、しゃがみ込んで「おーいトド松ぅ~」とかってね。でもこれだけ起きなかったら鼻とか摘んで来そうじゃんあの人。
カラ松兄さんは何だかんだでおんぶとかしてくれたりするから、こんなにしつこくぺちぺちして来ない気がする。イッタイ台詞を至近距離で聞かされるのはお断りだけど。
チョロ松兄さんはね、雑。雑オブ雑松兄さん。たぶん酔っ払いのボクとか最高に雑に扱われるに決まってる。一回二回は蹴って起こそうとするでしょ、げしげしって。ひどいよね~暴力反対~。
一松兄さんがもしかしたら一番それっぽいかも。あの人なんだかんだで普通じゃん。肩揺らして適度に叩いてそろそろ起きればってしてくれそうじゃん。あーこれ一松兄さんかも。
“おかえり、トッティ”
そう思ったら自動的に声が思い浮かんで吐きそう! 寝ゲロはやだなあ!
え? 十四松兄さん?
いやー、ないでしょー、十四松兄さんだったらもうボクのほっぺた消し飛んでるでしょ。
「……いひまひゅにいさん? らにい? さっひはらううあい」
あはは全然口回らないウケるー。
でも一応、ボクの言葉は一松兄さん(らしき人)に届いたみたいで、ひとまず、ぺちぺちはされなくなった。その途端にまたうっぷと吐き気がこみ上げてくる。あーーー、きっっっもちわっっっる。でもどうしようもない、動きたくない、気持ち悪い。
もう二度寝しちゃおっかな。ここがどこかはわからないままだけど。
そう、思った時だった。
ふっふっふ、と、笑い声が聞こえたのは。
――――それでそん時彼氏がね、生ビールお待たせしました、ホントありえないよねー、いらっしゃいませ何名様でしょうか、イイじゃん別れちゃいなよ?、かしこまりました、たこわさと枝豆とごぼうのから揚げですね、少々お待ちください。
ざわざわ、ガヤガヤ。
居酒屋特有の酒気を帯びた喧騒。
そういうのが急に、耳に届いて。
「おにーさん、かっこいいねえ」
すぐそばから、そんな声。
カッ! と目を開くのもグッ! と腹筋を使うのも同時だったと思う、体を半分起こして見えた景色に、
「だれ?!!?!?!?!」
叫んだ。
壁に貼られたおすすめメニュー、乱れた座布団、床に落ちたおしぼり、食べ飲み散らかされた机の上、つまり誰もいないもぬけの殻の元・合コン会場。
みんなボクを置いて帰ったんならそりゃあそのはずなのに、なのに、なのに、これは一体全体ほんとにだれ????
そうして、急に起きたことも大声を出したことも全部がトドメになって、
「……ヴオォエッッッッ……」
ボクは、ついに、吐いた。
全っっっ然知らない、おねーさん目の前で。
死にてえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
「生きてる?」
「すみません……死んでます……すみません……すみません……」
「よしよし、生きてる生きてる」
ふっふっふ。謝り続けるボクを軽く流して、彼女はまたそんな風に笑った。
早く死にたい。
正座をして、膝にきちんと乗せた両手をじっと見つめながら、強く強く願う。酔いは完全に醒めた。
ボクが吐き散らかしたゲロはと言うと、使用済みのおしぼりをかき集めて床を拭き、店員さんに新しいおしぼりを貰って、口元と体を拭いて、少しだけ汚れてしまった靴下は脱いだ。
「よかったねえ、服汚れてなくて」
「あ……はい……そっすね…………」
ボクの服はゲロの被害には合わなかった。部屋の隅にぶん投げられていたのを、おねーさんが見つけてくれたから。
つまりその間――――かき集めて床を拭いてくれたのも店員さんから新しいおしぼりを貰ってくれたのもこの目の前にいる見知らぬおねーさんがやってくれてる間――――ボクはほぼ全裸だった。
さっきそそくさと部屋の隅で着替えていつものパーカー姿になったところ。いやー、服ってあったかいんだねー、文明って最高だよねー。
あーーーー。
あーーーー。
早く死にたいなーーーー。
“おにーさん、かっこいいねえ。”
ボクの頭の中にはその言葉だけがぐるぐる回る。
それはそれはどうしたってどう足掻いたって一部の隙もなく二の句も告げず弁明も反論も抗議も何もかも出来ないほどそれはそれはボクは“かっこよかった”。
何しろまず頭に黄ばんだパンツ。
バナナはご丁寧に両耳から生えていたし(そのせいで音がよく聴こえなかったんだね!なあるほど!)、他に身に付けているものと言えば、鼻に割り箸と首に花輪と背中に天使の羽とあとは靴下だけという格好で、お腹には油性のマッキーでダヨーンの顔がでかでかと描かれていた。数日は落ちない。
いやーーー。
かあっっっこいいねーーーー。
早く死にたいくらいかっこいいボクーーー。
「酔い醒めてきた?」
「あ……はい……おかげさまで………」
ってゆーーーーーーか。
なに?! なんなのこの状況!?
これ以上ない痴態を見知らぬ女子に見られた上でゲロの処理まで世話されて??!!!?!
なんで生きてんのむしろボク!!?!?
「いやあ、生きててよかったよ?」
「あああーーーーーー!!!」
心の声をそのまま叫び出していたボクはついに床に突っ伏した。
「死んだーーーーもう今日死んだーーーー!!!!」
「うんうん生きて生きて」
「だいたい何??!! 黄ばんだパンツ扱いしたから頭に被らされたのはわかる!! 鼻の割り箸とか落書きもわかるよ宴会芸っぽいし?! でも天使の羽って何!?」
「あっすいませんお冷と生と漬け物くださーい」
「アイツらが五人の悪魔だから?! ボクが!? ボクが天使ってか!? なるほどねーー!!! 超納得ーーー!!! 殺戮された天使ーー!!!」
「はいお冷」
「うわお水めっちゃオイシッ!! そんで花輪ってどっっっから持ってきた!? レイ?! ハワイアン!? なんで!? バナナもなんで耳に刺した?! Sorry悪いが聞こえないよバナナが耳に入っててなってかあ?! 誰だよ小道具担当したやつ!!!!」
「めちゃくちゃ刺さってたねえ」
「ってゆーーーーーーか!!? だれ!!?」
「?」
「いや“?”じゃないからね!? 首傾げながらきゅうりの漬け物食べてる場合?! どちら様でしょうか!?」
「付き合いで参加した合コンから抜け出そうとしたら隣の部屋に芸術的な酔っ払いが死んでたので思わず介抱しようかなって気になった通りすがりのおねーさんです」
「その節はありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!」
ドゴン!!!!
額を思いっきり床に打ち付けたボクの土下座が盛大に響く。きゅうりを食べるパリポリという音も。
癖なのかな。ふっふっふ、て笑い方。
通りすがりのおねーさんの笑い声が、頭の上に降ってくる。
「はあーーーーー……」
それを聞いた瞬間、なんか、どうでもよくなっちゃった。
見られちゃったものはもうどーーーしようもないしね。
ため息と共に顔を上げると、
「飲み直す?」
ようやっと、そこで初めて、かちりと目が合った気がした。
そりゃそうだよ、気まずいし恥ずかしいし顔なんてまともに見れやしなかったし。
付き合いで参加したって言ってた通り、そこまで気合いは入れてないけど、ソツのない髪型と服装。まあ普通かな。ボクより何歳か上っぽそう。
それで頬杖ついて、ジョッキを掲げて、あぐらなんてかいちゃってさ。
そんなおねーさんが、生ビール片手に笑ってる。
なにそれ。
ちょっとイイじゃん。
「…………奢ってくれるなら付き合ってあげてもいいよ? おねーさん、どうせ合コン抜けて暇してるんでしょ?」
この期に及んで何を言ってるかって?
だってスタバァのバイト代はさっきの合コン代にぜーーんぶ使われちゃったもん。全部だよ? 兄さん達の分も出させられたからね!?
どの道ボクはさっき一回死んだんだし、これくらいイイよね。
厚かましいボクの言葉に、おねーさんは怒るどころか――――っていうか今更怒らないだろうなって思ってた!――――益々楽しそうに笑った。
「じゃあ奢るから付き合ってよ、トッティ?」
「ンッ」
「隣の部屋って言ったでしょ、ほとんど筒抜けだったよねえ。おつかれ様でした!」
「ンンンンンッ」
唇を噛み締めると血の味がした。
ああもう死ね死ね、死んだ死んだ!
ボクは今日死んだんだってば!
「こうなったらめっちゃ愚痴らせて!! ほんっっっと大変だったんだからね!? てかタメ口でいい!?」
「いいよー」
「ていうかキミ名前は!!? どこ住み!?!? LINEやってる!!?!?!?」
「おっいいねいいねえ! いい感じに砕けてきたねえ! やるなトッティ!!」
「その言い方やめてえええええええ!!!!!」
頭を抱えるボクの耳に、もうすっかり覚えてしまった笑い声が届いた。
「元からおねーさんはねえ、きみの愚痴を肴にしにきたんだ」
――――残念ながら、これが、これこそが、ボクと彼女のハジメマシテだった。
「ずいっっっぶんイイ趣味してんね!!?」
ボクの突っ込みに、おねーさんがやっぱり笑いながらビールをグイと煽るので。
そんなのもう、釣られて笑うしないじゃん?
「すみません、生ビール二つ、あとアボカドチーズ下さい」
だあって可笑しいでしょ、笑うしかないでしょ、こんな状況。
通りがかった店員さんを呼び止めて、遠慮なく彼女の分まで注文した。
店員さんの目には――――酷くゴキゲンな酔っ払いが二名、映ってることだろう。
next