ボクの平常心が失われつつある日

 休日の朝。気持ちよく晴れた、絶好のジョギング日和。
 待ち合わせ場所で、おねーさんがきらっっきらした目でボクを見つめた。ボクは口をあんぐり開けたままおねーさんを見つめて、小鳥が飛び、噴水から水が弧を描き、一瞬、二人の間だけ、時間が止まったような気がしたんだ――――そう――――それが恋のはじま――――
「らねーよ何そのジャーージ??!!」
「わあ、ツナギだあ!!」
「まっっってそれいつのジャージなのクッソださいな!?!?」
「いいねえトッティ、かっこいいね!!」
「聞いて」
「よ~~し走るぞ~~~そこまで競走~~~!!」
「待て待て~~~じゃねえよほんと聞いて??!!」
 聞いて!!!!!!!
 ――――透き通る空気の中、全力ダッシュで駆けていくボクの叫び声が、あまりにも響いていった。
 
「トッティいつもこの辺走ってるんだねえーー」
「まあねーー結構良いでしょここーー」
 妙にうれしそうな声で言うもんだから、前を走る背中に向かって答えてあげた。
 大きな池の周りをぐるりと遊歩道が囲んだ森林公園で、ランナーや犬の散歩をする人達がちらほらいるけれど、なんせ広いからあんまりすれ違わないっていうか、混み合ってないところがいいんだよね。自然も豊かだし、心が洗われるっていうかさ。ちなみに池にかかってる橋の上で、よくカラ松兄さんが逆ナン待ちしてる気がしたけど、よく考えたらボクん家には次男なんて存在しなかったから気のせいだったし、もし遭遇しても絶対に目は合わない。絶対にだ。
 おねーさんとは、もうすっかり、暇な時にLINEしては、ランチ、カフェ巡り、買い物、カラオケ、水族館、ボーリングその他諸々、一緒に行ったりする仲になっていた。まあ、その、ぶっちゃけ、…………デート的なあれ。
「てかペース配分考えて、バテるよ?」
「ん、そうする。ちょっとはしゃいじゃった」
「子供か??」
 やっとペースダウンした彼女の隣に並んで、やっぱり突っ込みを入れることになる。なかなかボケに回らせてくれないんだよねーこのヒト。
 今日もそのデート的なあれの一環で、最近体重が気になるとか、なんとか。
 そんな、なんてことないやり取りから、一緒に走ることになったんだけど、
「ふっふっふ、いやあ、だってねえ、トッティのツナギ姿初めて見たから、つい。かっこいいねえ」
 ――――またそんなこと言う。
「…………………………ボクだってそんなクッッソダサいジャージ初めて見たよ」
「照れるな照れるな~」
「むしろ照れてそのダサさに」
 ああもう!
 唇を噛み締めて、ペースアップしそうな心臓と脚をなんとか抑えつけた。おねーさんに合わせて、ゆっくり走る。ボクとしては遅すぎるくらいだったけど、ちょうど隣になるように、ゆっくり走った。
「ほんっっと全っっ然理解出来ないんだけど」
「?」
「いや“?”じゃないからね、おねーさんの趣味の話!」
 たとえばLINEで「トッティがいつも走ってるとこがいいなあ」とか。新調したジョギングシューズの写真と一緒に「トッティカラーだよ」とか。そういうのほんと止めてって思う。スマフォぶん投げそうになったし。勢い余ってレスラーブリッジする羽目になったし。ボクってば体幹強い。
 あんな最低なハジメマシテをしたボクを、最早1mmも取り繕えないボクを、依然ニートなボクを、
「そんなに悪くないでしょ?」
 この人は、すきとか、言う。
 挙げ句の、果てに、付き合って、とか、言う。

 ――――――マジか?

「そのジャージは無理」
「そ?」
「そ!」
 ジャージの話にすり替えて、ボクは今日も誤魔化した。
 返事はまだ、言えてない。
「だよねえ」
「は?」
「このジャージは、ないよねえ」
「はあ~~~?? なんで?! なんで着た???」
「………………」
「えっなになになにえっ? えっ? なに、怖いんだけど」
 急に黙った彼女がスピードを上げるから、また追いかける羽目になる、ますます意味わかんない!
 二人共走っているから、声は自然と大きくなった。
「トッティがさあーーー?」
「ボクがあーーー?」
「頭に黄ばんだパンツ被って両耳にバナナと背中に天使の羽生やして鼻に割り箸と首に花輪とお腹に油性でダヨーン描かれてたほぼ全裸の格好してたことをさあーーー?」
「喧嘩売ってるうーーー?!!?!」
 響き渡るボクの痴態。いやわかるけどねそのネタ何回でも蒸し返したくなる気持ち。全然嬉しくないけど!!
「やっぱりまだ気にしてるのかなあって思ってさあーーーーー」
「そりゃまあそこそこねーーーー?」
 ランニング、ジョギング、ウォーキング。先に先にと走っていた彼女が、徐々に徐々に、スピードを落として、ついには歩き始めた。うん、急に止まらなくて偉い。追い抜かしてしまったボクは、その場で足踏みして振り返ると、
「だから自分なりに、恥ずかしい格好してきたんだよねえ」
「…………………………………は?」
 ――――困ったように笑いながら、耳を真っ赤にしてるおねーさんを、見た。
 なにそれ。
 なにそれ。
 なにそれ。
 止めろその表情はボクにキく。
「え? 何? つまりクッッソダサいって知っててここまで着て来たの?」
「え、うん、流石にそれくらいわかるよやだなあ」
 それもそうだった私服普通だもんねなにそれ!!!!
「今日のおねーさんのコーデはね、」
 ヨレヨレの、正直何年も着てないだろう、コンビニに行くのも躊躇われる、一松兄さんとかが着てそうな、ていうか実際現役バリバリで着てるような、クッッソダサいジャージ。
 でも足元だけは、新しく買ったばっかりの、ボク色したジョギングシューズ。
「トッティだけに恥ずかしい格好はさせないぜ! っていう、自己満コーデなんだ」
 ブツン。
 ボクの中で何かがキレる音がした。


「だっっっっっっっっっからさあ~~~~~~!!?!?!?」(注・1)
「そういうの!!!!」(注・2)
「ほんっっと!!!!!!」(注・3)
「止めてって!!!!!!!!!!!!!」(注・4)
「言ってるでしょ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(注・5)

注1・手を引っ掴んで走ってお店に駆け込む松野トド松の様子。
注2・試着室に押し込み吸汗速乾性の高いUVカット仕様のパーカーとランニングタイツを押し付ける松野トド松の様子。
注3・試着して出てきたところにもう何点か押し付けてシャッッッと再びカーテンを閉める松野トド松の様子。
注4・店員さんに「あのまま着てくんで袋だけ下さい」と頼みクソダサジャージを袋にシューッ!! エキサイティン!!!!!する松野トド松の様子。
注5・言ってない。


「わあ~このコーデ可愛い~~」
「でっしょ~~~ってそうじゃなくてね!?!?」
 お店を出てぜえぜえと肩で息をする、もう何してんだボクは、いやでも、だって、いや無理だろなんだよなんなんだよ、


 可愛いが!!!!
 過ぎるだろ!!!!!!!!!!!!!


「っっっあぁぁアの、さァ?!」
 声が裏返る。かっこ悪。でもそんなの今更過ぎて笑えない。ジャージの入った袋を、ぎゅっと掴む。ごくんと唾を飲み込んだ。
 今か? 今なのか?! わっかんねえよタイミングなんて、こちとら年季の入った童貞ニートやってんだからさあ!?
「あの、さ、」
 でも―――でも、言わなきゃはじまらないんでしょ、恋ってやつは。
「トッティ」
 くるり。
 服を見せびらかすように、目の前で彼女が一回転をする。
「ありがとう、選んでくれて」
 そんでもって、へにゃり。
 おねーさんが幸せそうに笑う。
「…………………………………そのシューズに合わせるならやっぱりピンクだよね」
「だねえ」
 返事は、まだ、また、言えそうにない。
 こっちこそありがと、とボクが口の中でもごもご言うと、やっぱり、あの声で、笑われた。


  ボクの馬鹿野郎!!!!!!!!!!!