巡る姫百合の夏
梅雨が明け、待っていたのは千年に一度の猛暑でした。千年前にお帰りください。お弁当と朝食をつくり、妹を起こし、食卓を囲み、身支度をしていればもう太陽が牙をむく。
通学前にと、エアコンのリモコンを手に取った。小まめにオンオフするよりも、つけっ放しがいいのだと言う。気温が上がりきる前の、まだ涼しい時間帯に、弱めの冷房を入れておく。
「金銭的にも空調的にも、効率が良いと聞きました」
「電気代も馬鹿になりませんからねぇ。ぽちくんとたまもいることですし、しばらくやってみて様子見しましょう」
「はい。ほら、涼しい?」
そう訊ねながらがたまを抱っこする(実に可愛い)ので、では私もとぽちくんを抱きあげた。すぐさま、にゃあ、きゃわんと返事の鳴き声。うちの子たちは大変に賢く可愛らしい。暫く無心でもふもふすると、気持ちよさそうに目を細める。ぽちくん可愛いですぽちくん。
ふと見ると、全く同じことを妹もしている。幸せそうにもふもふしていて、幸せそうにもふもふされている。可愛いです。たま可愛いですたま。可愛いに満ち溢れた朝!素晴らしい!
「この時期はエアコン完備の教室が本当に有難いですねぇ……」
「問題は通学ですね……これからが本当の地獄だ……!」
「王子……!あら、そろそろ出る時間です兄様」
「ああ行きましょうかね」
軽口をたたきながら、それぞれ名残惜しそうにもふもふを止めて玄関へ向かう。
備え付けの靴箱の上は細々としたものの置き場にはちょうどよく、小さなかごには二人分の鍵が入っている、忘れないように。銘々の嫁フィギュアも飾ってあるのは当然として、芳香剤や一輪挿しの花瓶、今の時期にはポンプ式の日焼け止めが置いてあった。忘れないように。
「ほら日焼け止めきちんと塗りなさい。お前は肌弱いんですから」
「……はあい」
顔はお化粧する時に塗るんでしょうけれど、目に付くところに置いたのは、こういう理由からでした。
自分は靴を履きながら促してやると、少々面倒そうに、日焼け止めへと手が伸ばされた。全く可愛い妹です。
子供扱いしないでください、なんて度々言うくせに、こんな風に酷く子供じみた態度を無自覚にとるのだから。
「兄様も塗りますか?」
笑みと萌えを噛み殺しつつ、塗り終わるのを待つ。かこかことポンプを押してはいるが、随分と出が悪い。もう残り少ないんでしょうか。すぐさま頭の中の買い物リストに追加する。
「私?私はいいですよ男ですし。しばらくコスプレする予定もありませんしね」
「たいへん兄様らしいご意見ありがとうございまあ゛っ」
「……」
「……」
びゅっ。――どうやら、中で固まっていたようです。勢いよく日焼け止めがその手の平へと飛び出る。どう見ても一人では使い切れないほどの量。気まずい沈黙が流れる。
恐らくは、いや確実に、去来する思いは一致している。しかし顔にも口にも出さなかった。
そしてそれを――考えていることも表に出さないことも――お互いにわかってしまうからこそ、気まずい沈黙が流れる。
ぅゎひゃけどめぇろぃ。
「……、……兄様も塗りますか?」
結局誤魔化すように呟かれた言葉へ、他にどう叫べばよかったのか?
「どじっこ萌え!!!」
「いいから使ってください!!」
ぅゎぃもぅとかゎぃぃ。
じゅっ!
肌が焦げる音が、聞こえたような気がしました。
マンションから一歩踏み出した瞬間に“ぽちくんのお散歩を一時間早くしました”そう言っていたことを思い出す。ぽちくんのお散歩は兄様の仕事、たまさんと遊ぶのはわたしの仕事。兼任することも多い、大事な大事なお仕事です。
まだ朝だと言うのに、アスファルトは十分に熱されていて、実にやさしくありません。肉球が泣いてしまいます。
「兄様たいへん!憎らしいほどいいお天気!!」
「全くですね!太陽爆発しろ!!」
「突然の人類滅亡!!」
「それは本当かキバヤシィ!!」
「我々は今まさに太陽の侵略を受けているんだ!!」
「な、なんだってーー!!あ、こら日傘持ってるんだからさしなさい」
「ええ~……」
勢いだけの会話が止まり、目ざとく注意されてしまって、気持ちをそのまま口にしてしまう。
もちろん傘は常日頃、鞄に入れて持ち歩いているけれど。
「ええ~じゃありません日焼けも日射病も怖いんですからね。折角可愛い日傘にしたんですから、ささないと勿体ないでしょう?」
先日共だって買い物に行った記憶も新しい。
“晴雨兼用完全遮光折畳み式、かつ可愛らしいものを!”
そう意気込んで選んでもらった、シンプルながらもぐるりとレースが縁取られた、白い日傘。
“プラス麦わら帽子と白いワンピースで完璧ですね!”とも言ってらしたっけ。実に兄様らしい。
とっても可愛くて、でもそれだけじゃなくって。選んでもらったことが嬉しい、お気に入りの日傘。
断じて傘が悪いわけでは、ありません。決してそんなことはありません。
仕方なく、一度立ち止まって鞄の中から取り出す。ぱっと開く。傘をさす。
急に影が出来て――少し暗くなった視線の先には、何と言うことも無く、それらをごく普通に待ってくれる、兄様の姿。
「……だって傘、邪魔ですもの」
「え?何かおっしゃいました?」
ほら。
唇がとがりそうになる。結局とがらせたって、傘で見えないかもわからない。声だって、少し届きにくい。隣に並んだとし
ても、二人の影は重ならない。
「なんでもありません」
「なんですかもう」
すたすた歩いてしまうと、呆れたような、戸惑ったような声が後ろから聞こえる。ああ、これじゃ本当に、子供のよう。
こんな傘一つ分の距離が煩わしいなんて。
「……あっ!そうです、相合い傘しましょう!」
「!!?」
急に振り返ってそんなことを提案すると、いつも――イギリス人お二方とのあれこれを除いて――落ち着いた面持ちの兄様が驚いた。こんな表情が見られるのは、もしかしたら自分だけかもしれないと、日傘の下でほくそ笑む。
「日焼けも日射病も怖いんでしょう?」
少し背伸びして傘をさすと、
「……はいはい、しょうがないですね」
その手元をあっさり奪われた。
もちろんその鞄にも常日頃、折り畳み傘は入っているはずですけれど。
どうやら兄は今日もまた、この妹の戯れに、付き合ってくださるようでした。
お互いに小さく会釈を交わして別れてから、数時間。
いくつか同じ講義を受けているものの、今日は一限目から全て被らない日だった。嘆かわしい。
のことを――相合傘ってなんだったんですかね可愛すぎるちゃんと講義受けてますかね居眠りしてませんでしょうか悪い虫がつきませんようにもしそんなことがあったらこの木刀で云々等――考えながら、
「外めっっちゃ暑かった……アイスうめえええ」
「日本の夏まじでクレイジーだよな……」
「だな……、ちょっおいアイスとけてるとけてるってアート!!」
「やべっ落ちっっ――」
「……ふーっ、セーフ!!」
「いやどう考えてもアウトだろお前の手の平の上って」
「食う?」
「食わねーよ!!」
目の前のイギリス人どものやり取りを映像媒体に記録しながら必要とあらば脳内で補完作業を行いネタ帳に書き出すくらいのことは日常茶飯事でした。
「いい笑顔でカメラ構えてんじゃねえよ」
「はいはいホモ乙」
しれっと断定するとこれくらいではもう動じないのか、彼の人はわずかに眉間に皺を寄せただけで私を打ち切った。良い傾向にあるようだ。全てに噛み付かれるよりはこちらとしても動きやすい。
「なーこのアイスどうすんだよアートー!!なーってー!!」
「捨てろ!」
「えーもったいねぇ」
「じゃあ食えばいいだろ……あーもうべったべたじゃねぇかよもおお」
夏とアイスとホモは鉄板だなあとしみじみ実感していると、胸ポケットで携帯がふるえる。時間帯を考えれば見なくとも誰からかわかる。我ながら呆れるほどの素早さで電話に出た。しかし自分の身体能力はこういう時にこそ発揮するべきだとも思っていた。
「はいもしもし、お疲れ様です。えぇいますよイギリス人どもは今日も元気にホモってます」
「ヒボウチョウシュウされてんぞ俺ら」
「誹謗中傷な」
もちろん着信は妹から。耳に届く労いの言葉と、いつものように昼食への誘い。お茶は買いましたとの報告。
「はい?いえ、お前がこちらに来る必要はありませんよ私が向かいますので。ええじゃあそこでお昼にしましょうね」
どの世界にイギリス人どもと同じ空間に妹を招き入れる兄がいるというのかいやいない反語。
「ヒボー!チョー!シュー!!」
「誹謗中傷な」
携帯を肩で耳に挟みながらカメラとネタ帳を鞄に仕舞う。
適当にゲームを与えると勝手に遊び始めるという法則はあるにしても、何も仕込まなくても勝手にいちゃつき始める習性が実に素晴らしい。この二人を手放しで褒めるとしたらそこだろう。
むしろ他にないです。
「いちゃいちゃしているところ名残惜しいですが私はこれで」
「はいはいシスコンおつ」
先ほどの私を倣った物言いと、含みを持たせたような嗤い。
「褒め言葉ですが何か?」
これ以上ないほどの笑顔で斬ってやると、やはり彼の人はわずかに眉間に皺を寄せただけで私を打ち切るのでした。
「ヒボー!チュー!!ショー!!!」
「誹謗中傷な」
「言えてね?!」
『言えてね?!』
『全く五月蝿いですねの声が聴こえなかったらどうしてくれるんですか』
「あ、あの……」
聴こえてくる会話に滾ったり笑ったり赤くなったりと忙しい。(相変わらず英英は最高ですね、とか、褒め言葉じゃありません、とか。)
こんな風に刺々しい兄の声を、一体何回聴いたことがあるだろう。直接向けられたことはないにしても、目の当たりにすると少しだけ戸惑ってしまう。
『ああ実にすみません、今すぐ行きますからね。お腹空いたでしょう?今日は散らし寿司ですよ』
――そしてすぐやさしい声音に戻る様が、なんだかくすぐったくて、一人ではにかんだ。
「わあ!本当ですか嬉しい!!兄様の散らし寿司、とても美味しいですから」
誤魔化すように目一杯はしゃいだ声を出す。当然、本心からの言葉でしたが。散らし寿司!!
『ふふ。じゃあ一度切りますね』
「えっ」
『えっ』
「あ、いえなんでもないです、ではお待ちしております」
しまったと思った時にはいつも遅くて、平素を装う。なんとなく切りたくなかった。これからすぐ、一緒にお昼だっていうのに。
『……ええと、』
「はい?」
これだからブラコンは全くああああと悶えている内心を抑えていると、
『あとは、牛蒡と蓮根のきんぴら、』
「わあ!」
『オクラの梅肉和え、』
「オクラ!」
『大葉入りの玉子焼き、などですね。焼き鮭もあります』
「全部すき!!」
耳に飛び込んでくる好物の羅列。くすくす笑い声が受話口から聴こえた。
『だと思いました』
「いつも美味しいお弁当、ありがとうございます」
『お前はいつも美味しそうに食べてくれますからね、作り甲斐がありますよ』
「だって!ほんとうに!美味しいですから!」
「はいはい」
「えっ?あれっ?」
ぱっと顔をあげると、いつの間にか、すぐそこに兄様がいた。受話口からは、またくすくすと笑い声。
『お待たせしました』
実に楽しそうにそれだけ言われて、通話が終わる。
「さすがに身振り手振りまでは電話じゃ見れませんねぇ」
電話しながらお辞儀するのって日本人特有なんですよねー。
斜め前の席に腰掛けながら、そんな風に言われてしまう自分の顔は、
「あ、う、お、恐れ入りますすみません……」
「いいえ、こちらこそ。お待たせしました」
恐らく真赤に違いない。咳払いを一つして気を取り直す。
「すみません、お呼び立てしてしまって」
「いいんですよ。それよりも席とお茶、ありがとうございます」
「そんなこと言ったら、いつも美味しいお弁当、ありがとうございます!」
「どういたしまして。では頂きましょうか」
「はい!」
いそいそと鞄からお弁当の包みを取り出した。お昼時のロビーはそこそこの賑わいを見せている。食堂は今頃戦場になっているに違いない。それでも某イベント会場よりはマシですけれどね!
こうして今日も、一緒にお昼。
夕刻。少しかさばった鞄を持って商店街へと向かう。
お昼に食べたお弁当の、空箱は今自分の手元に二つある。
「すみません、お願いします」
「はい、いってらっしゃい。バイト頑張ってくださいね」
そんなやりとりもお決まりになりつつありました。
すぐ近所のスーパーは、品揃えも品質も素晴らしく、そしてお値段も息を飲むほど素晴らしい。
出来るだけ節約、はわたし達兄妹の常です。それに、商店街の八百屋さんや魚屋さんや肉屋さんも、高級スーパーにだって負けていません。庶民の味方!
冷蔵庫の中身を思い返しながら、今晩のお献立を考える。これがなかなかに厄介でした。その原因は十中八九、敬愛してやまない兄の他にありません。
今日食べたお弁当はもちろん、和食を中心に、何を作らせても。どれもこれも本当に美味しくて、美味しくて、つまりはそういうことでした。
断言できる。何を作ろう、何が食べたい、と思っても、兄が作った方が絶対に美味しい、と。
「……カレーにでもしましょうか……」
庶民の味方……!!
お献立を(半ば強制的に)決めてしまうと、目当ての材料やお買い得品を二人で使い切れる量だけ買う。この時期はどうしたって傷みが早い。もったいない、もわたし達兄妹の合言葉でありました。
家に帰ったらカレーを作ろう。その前に、お留守番をしていた可愛い二匹のご飯を先に。そうして兄の帰りを一人と二匹――決して三匹ではありません――で待って、いつものように、食卓を、囲んで。
――商店街を行き交う人々の、夕方の賑わいが、かえって穏やかに感じました。繰り返す日々の営み。その只中、当たり前の顔をして、過ごしている。
不意にこみあげる想いは誰にも言えない。
夕刻。少し軽くなった鞄を持ってバイト先へと向かう。
お昼に食べたお弁当の、空箱は今自分の手元にはなかった。
「すみません、お願いします」
「はい、いってらっしゃい。バイト頑張ってくださいね」
そんなやりとりもお決まりになりつつありました。
家から程近い、つまり学校から程遠い位置に、その多国籍居酒屋はある。
和洋中、果てやトルコ料理やロシア料理と無駄に幅広く展開していて、客層も雑多で姦しい。客入りも上々。つまり中々に忙しい。納得の時給の高さと仕事量だった。
学費を払ってもらい、家賃込みで仕送りを貰っていたが、食費や生活費を差し引くと、手元に残る額は多くない。自由につかえるお金は、あって越したことはない。たとえば妹に何かあった時のためにも。
今日の入り時間までまだまだ余裕があったが、念のため時間を確認し、歩みを進める。
ふと目に留まった電柱に、町内で行われるらしい夏祭りのポスター。すぐさまスケジュール帳――バイトのシフトやスーパーの特売日、イベントの日程や締め切り日など細かく記されている――を取り出して、その日付を二重丸で取り囲む。
一瞬で浴衣姿を想像したのは言うまでもありません。
「……誘ってみましょうかね……」
目蓋の裏に笑顔が花咲いた。それはそれは嬉しそうに目を輝かせて、清々しく返事をするに違いない。
地域で催されるお祭りや縁日、季節ごとの伝統行事、そういうものに、私達兄妹は殊の外熱心だった。一緒に暮らし始めてからも、連れ立って足を運んだり、家でささやかにお祝いをしたり。
思えば物心がついた頃からずっと、そうやって過ごしてきた。そうしてきっと、これからも――?
不意にせりあがる想いは誰にも言えない。
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
「ただいま帰りました。おや、今晩はカレーですか。お夕飯ありがとうございます」
「はい、折角なので夏野菜カレーにしました。……カレー率高くてすみません……」
「そうですっけ?助かりますよバイトで遅い日は」
「兄様……」
「どうしました」
「明日カレー南蛮にしてくださいませ」
「気が早い!」
「ご馳走様でした。美味しかったです」
「お粗末様でした。カレー南蛮楽しみです」
「気が早い。食器洗いますよ」
「お願いします、ありがとうございます。お風呂先頂いてもいいですか?」
「ええもちろん。ほかってらっしゃい」
「……ガリガリ君入浴剤はいれても?」
「いいですけど。食べちゃ駄目ですよ」
「食べません!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「夏ですねぇ」
「あ゙っ……ほかえりなさい……」
「ほかいま。はーお風呂上りの牛乳は正義ですね」
「わ、わたしも飲みたいです」
「はいはい、どうぞ。……ああ、私には遠慮せず心行くまで続けてください」
「また今度……」
「是非ワレワレハウチュウジンダまでよろしくお願いします」
「善処します……」
「ペロッこれは失われた野生のポーズ……」
「偶然にも天使しかいない我が家に扇風機を設置した私達は……」
「夏は扇風機冬はストーブどちらもよきかなですね兄様」
「最初は怖がってたのにご覧のありさまですよマジ萌え2000%」
「ああああごろんって!!ごろんってしましたたまさん可愛い!!」
「ぽちくんそのまま!!そのまま目線ください可愛い!!」
「夏でも色褪せないもふもふの魅力!まさに天使!」
「全くですねお前もちょっとそこに転がりません?!」
「!?」
「そう言えば、窓辺に風鈴がほしいです」
「いいですね。――そうそう、今度近所で夏祭りがあるそうですよ」
「あら素敵!いつですかいつですか?」
「ふふ、来週末ですよ。ご一緒しましょうね」
「はい!」
「素敵な風鈴があるといいですね」
「はいっ!!」
「毎年毎年、浴衣を新調したくなって困りますね」
「はい?」
布団が二組、微妙な間隔を空けて並ぶ。
間を挟むように、目覚まし時計と小さな照明が置いてある。和紙で出来た傘越しの、ほのかな灯りが部屋を照らす。
部屋は、元は板張りの洋室。今は畳が敷かれていて、完全に和室になっていた。
一組の布団の上には犬が、もう一組の布団の上には猫が、足元の方に丸まるようにして乗っている。
夏ですねぇ。唐突に、一人が言う。
夏ですねぇ。穏やかに、一人が返す。
うふふ、と、先に呼びかけた声の主の、とろけたような、やわらかな笑い声。
眠そうな様子にか、それともやけに嬉しそう様子にか。呼びかけられた方も、つられて笑って問いかけた。随分とご機嫌ですねぇ。
すると、そのまま夢見る口調で、こう続けられた。だって、夏ですよ、兄様。
また、夏がきました。
ほの暗い部屋で、声は、実に楽しそうに響く。けれど――固く目を瞑り、胸に手を当てた姿は、祈りにも似ていた。
それは、誰の目に留まることはない。
暫く、枕元の目覚まし時計が、秒針を刻む音だけが聞こえた。こたえはないと、錯覚するほど。
しかし言葉は、返された。そうですね――
また、お前と過ごす夏がきましたね。
やさしい、どこまでもやさしい声色だった。そこで初めて、目と目が合う。暗くとも、互いの表情が知れる距離。
――さあさ、寝ましょう。
ところがすぐさま伸ばされた手が灯りを消して、急に訪れた暗闇が煙に巻く。
――はい。
そうしてわずかに衣擦れの音がして、小さく夜の挨拶が交わされる。
おやすみなさい。
また、明日。
変わらない想いと共に。
夏が巡る。