日陰の姫百合は二本咲く

 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
 ――夏の野の繁みにひっそりと咲いている姫百合のように、
 知らえぬ恋は 苦しきものそ
 ――想う人に知られぬままの恋は、なんと苦しいことか。
 
 
 季節は夏。某僻地。某寺にて。
「ガキですね」
 開口一番そう謗ると、イギリス人その一・アートさんが、実に嫌そうに顔を歪めました。
 金髪に作務衣というアンバランスさが、かえって彼の眉目秀麗さを引き立てていましたが、その両腕にはウォーターガンを抱えています。
 やはり鼻で笑うべきでしょう。
 つまりは一緒に遊ぼうぜ、と有難迷惑な誘いを受けたのですが、朝から晩まで続くバイトの最中。ただでさえ貴重な休憩時間。しかもこの炎天下。何が楽しくて眉毛と水鉄砲遊びなどしなければならないのか。
 ばっさりと、そう切り捨てた所でした。
「あら、懐かしい。昔はよく遊びましたね」
 ――ひょい、と。自分とアートさんの間を覗き込んだのは、他でもない、誰と間違うこともない、可愛い可愛い妹でした。
「あ、本田妹」
 ええい眉毛そこをどけ距離が近い。
「おつかれ様です。お前も休憩時間ですか」
「はい。おつかれ様です、お二人とも」
 は嬉しそうにウォーターガンをしげしげ眺めると、くるりと振り向いて、花のような笑顔を見せました。
「兄様。どうですか、久しぶりに」
「いいでしょう、今こそ兄の威厳を見せる時です!」
「わあ嬉しい!」
 さっとたすき掛けをすると、やんややんや、手を叩く妹がこれまた可愛らしい。
「変わり身早すぎるだろ……」
「兄として妹の要望に応えるのは当然です」
 しれっと言ってのけると、ため息で返されました。失礼な。
「まあいいや、折角だ。大っ好きな妹の前で恥かかせてやるよ」
 翠の瞳が狡猾に笑います。なんと聞き捨てならない台詞か。私が妹の前で恥をかく?
 そんなこと、有り得ていい訳がない。
 ――近くにあった井戸から水を出して、弾として詰める。装填した一丁をアートさんに渡しました。ウォーターガンは、全部で三丁。大方、イギリス人その二・アーサーさんも誘う気だったんでしょう。きゃっきゃうふふと水を掛け合う金髪二人。なかなかいい絵面ですね。こっそり撮影することも視野に入れ、残りにも水を注いでいく。
「アリアたんかわいいですアリアたん」
「青薔薇ちゃんも捨てがたいですよ、兄様」
「は?」
 趣旨を一瞬で理解したが嬉しそうに笑います。 
「男ならアーカードの旦那でしょう」
「ダンテも素敵ですよ?」
「何言ってんだお前ら……」
 どちらともなく目配せして、笑みを交わしました。全くこれだから眉毛は。
「お前は濡れないように離れてなさい」
「はい」
 ……素直にそう聞き分けながら、ポケットからすかさずカメラを取り出す様には、血を感じざるを得ませんね。
 いそいそと私の背に隠れる妹を愛しく思いながら、銃を――銃を、構えます。
「いやちょっと待てポンプ式ウォーターガンだぞ両手持ちって物理的に不可能だろ!?」
 全くこれだから眉毛は。あんなにヒントを出してあげたのに。
 顔を見ずとも、肌で、感覚で理解できる。今まさに、私達は同じ顔で笑っていることでしょう。
 そして声は、一字一句違わず、揃っておりました。
「二丁拳銃は」
「ロマンです」


「もうお前ら誘わねぇからな! 覚えてろよ馬鹿ぁ!!」
 テンプレの負け犬台詞を吐いてくださるなんて、思っていたよりアートさんはサービス精神旺盛なのかもしれません。
 頭から爪先までずぶ濡れにして去っていく様はなかなか愉快でしたが、
「さすがにちょっと、やり過ぎちゃいましたかね……? 風邪、引かないといいんですが……」
 の申し訳なさそうな声音に、たった今不愉快になりました。
「大丈夫ですお前が心配することは何もありませんよ。この陽気ですしね、服もすぐ乾くでしょう。
 夏風邪は馬鹿しか引かないと言いますし」
 あんな眉毛のために可愛い可愛い妹が心を痛める必要など、この世界にあるわけがない。
 やや早口でまくし立てると、はぽっかりと口を開け、目を丸くしました。可愛い。
「兄様が人を褒めるだなんて珍しい……」
 ――食いつく所はそこですか。
 夏風邪は馬鹿しか引かない。暑い夏に、体調管理をおろそかにする馬鹿が風邪を引く……という意味が一般的でしょう。 実際は、冬に引いた風邪を夏になってから気が付く、馬鹿はそれほど愚鈍である……
 これが本来の意味です。
 確かに、彼のことを愚鈍な人間とは思っていません。今まで出会った人間の中でも、五本の指に入るほど優秀な方でしょう。
 もちろん、過去の爛れた女性関係や料理が破壊的な所や多方面に尊敬できない人間性を除いて、ですが。
 それら全てわかった上で、褒め言葉と受け取るには、さすがとしか言いようがありません。
「フラグきたこれ!」
 ――さすが私の妹、としか言いようがありません。
 ……ここぞとばかりにきらきら輝く瞳と上気した頬は、こんな話題でなければ大歓迎なんですけれども……。
「断固として折らせていただきます! 兄で掛け算禁止!」
「ふふ。足し算ならよろしいんですか」
「むしろ私だけ引き算でお願いします」
「それは新しい! ……でも、いいお友達、でしょう?」
 ころころ鈴の音を鳴らすよう楽しそうに笑い、それから、こちらを覗き込むように首を傾げる。この仕草たまりません……などと言いたい所ですが、その目が、黒い瞳が私を刺します。
(実際は、どうなのですか?)と。
「よしてください。正直、あまり仲が良いわけではありませんし。眉毛二人を遠巻きに眺めて妄想する方がよっぽど楽しいです」
「もう、またそんなこと言って……気持ちはわかりますけれど……」
「でしょう? あいつら何かやたらホモ臭いですし」
「いちゃいちゃ美味しいですねぇ。では言い換えましょう、いいご学友でしょう?」
 苦笑いしながら言えば言葉遊びで返されてしまう。どうあっても私に、あの二人を「友人」だと認めさせたいようでした。
 他人から一歩線を引くこの癖を、今まで何度窘められたことでしょう。
 昔から、私達の世界は完結しがちでした。話し相手も、遊び相手も、互いの存在で十分すぎるほど事足りていたのです。そのことを両親が危惧していたことも、理解できてしまうほどに。
 完結した世界。
 ――一瞬感じた眩暈は、無視をすることにした。
「日本語って便利ですね……」
 誤魔化そうとの頭をぽんと叩くと、随分と熱い。
「……日陰に行きましょうか。時間、まだ大丈夫ですよね?」
 こっくりと頷くの手を引くと、慣れ親しんだ、己の体温がそこにあるような気がした。


 蝉の鳴き声轟く巨木の下に移動すると、どちらともなく太い木の根に、隣り合って腰をおろす。
 短い命を謳歌せんとする叫び声が、頭上からわんわんと降り注ぎ、木の葉に陽射しが遮られているとは言え、むっとする暑さに汗がじわりとふきだしていく。
 しかし互いに、手を離そうとはしませんでした。
 なんだか、昔むかしの、子供の頃に戻ったような心持ちです。
 まだ男女の隔たりもなく。背も、声も、手のひらの大きささえも、なにもかも同じだったあの頃。
 
 みるみるうちに背丈が離れたとき。
 あるいは、突き出た喉仏をおそるおそる触りながら。
 手のひらを合わせて、届かない指先に。
(いっしょがいいのに)
 そう泣いた彼女より、美しいものを私は知らない。
 
「夏、ですね」
「……夏ですねぇ」
 ――このまま、とけてしまえば。汗と、血肉と、まざりあって一つになればいい。元は同じ存在なのだから。そうすれば、こんな――こんな醜い想いも、抱かずに済むのではないか。
「最初、わたしとっても驚いたんですよ」
 平素通りに話し始める声に、はっとしてその拍子に手を離す。
 今何を考えていたか、伝わるわけではないのに。乱暴な態度になってしまったかと、ぎくりと背が凍りましたが――彼女は何を言うわけでもなく、ただ、一度だけ目を伏せただけでした。
「三人でバイト、だなんて。それどころか、騒いで正座させられたり、仲良く木陰で転寝したり……」
「……なんですお前さみしいんですか?」
「ちがいます」
 先程の後ろめたさからか、そっけない声がついと口から飛び出ていました。
「アーサーさん達と騒いでいる兄様は、なんだか“男の子”って感じで、新鮮です」
 けれど気にとめた素振りもなく、は思い出したかのように喉をくつくつふるわせる。
 苦しくて、たまらない。
「……やっぱりさみしいんじゃないですか」
「ちがいます」
 浮かぶ言葉を飲み込んで、さみしいのは私の方でした。
(だって態度が違うのは当たり前じゃないですか、私は男で、お前は女で、誰よりも大切な人で――)
 ――二人を取り巻く環境は、歳を重ねるにつれ少しずつずれてゆきます。それは二人が異なる存在であることの、他ならない証明に思えてならないのです。
 ですから私は、そのずれを、少しでもなくしてしまいたいのです。その要因となるのであれば、何もかも全て斬り捨てることも厭わない。
 人より一歩線を引く? どうして他人と距離を縮めなければならない。

 彼女から、これ以上離れることも、これ以上近づくことも、出来ないというのに。

「ただの、ちょっとした、やきもちですよ」
「……は」
 言われたことがすぐには理解できず、間抜けにも口から息だけが漏れました。
 そこには、満面の笑顔が花咲いていて――
「隙あり」
 ぴゅう、カシャッ。……そんな具合に。ぬるい水で、額の真ん中を打たれると同時に、シャッターを切る音が響きました。
「水の滴るいい男、ですね!」
 どこに隠し持っていたのか。子供用の、本当に小さな小さな水鉄砲です。
 片手に水鉄砲、片手にカメラ。
「兄様の、珍しいショットが撮れました!」
 それを満足げにどや顔で構えるものだから。
 もう、笑うしかありません。
「……お前の目的は、最初からこれでしたか」
「あら、ばれてしまいましたか」
 水鉄砲の残りを乾いた地面に打ちながら、くすくすと、それはそれは楽しそうにが笑う。
「“昔はよく遊びましたね”」
 先ほどの言葉を一字一句返してやれば、ますます笑みを濃くして頷いてみせる。ああ――この子は全く。
 いつだってこうやって、笑顔一つで、肩の力を抜かれてしまう。
「兄様はお強くって……全然当たらなくて。でも、いつも手加減して、わざとわたしに負けてくださいましたよね」
「そうですっけ?」
「そうです。昔から……おやさしいんですから」
 手を伸ばされて、近づく距離に、白い頬、長い睫毛に胸がどぎまぎと痛みました。私の顔を覗きこみ、大して濡れてもいない額をはんかちで拭ってくれたのです。
「修行も楽しいですけれど……わたしだって、兄様と遊びたいです」
「それでやきもちですか……全くお前は」
 嬉しさを抑えながら頭を撫でてやった。目を細めるその様が、何よりも、誰よりも、眩しいことか。
 知らえぬ恋は苦しきものそ?
 知らなくていい。知らないでいい。生涯日陰の、姫百合でいい。
 は撫ぜる私の手に手を重ね、それからそっとはにかんで、そうして得意気に、こう言うのです。
「……だって、兄様に勝てるのは、わたしだけでしょう?」
 ――私にはもう、一生、勝てる気がしないのでした。


<-- 2012/9/1→加筆修正2013/9/22 -->