手は繋がず、心は繋ぐ

 とある、春の放課後。
 部活や下校で生徒達が散り散りになった学校で。
「窓から投げられた角度からいって確かこっちの方だと思うんだけど……誰かにゴミと間違えられてませんように……!」
 ブツブツと呟いてしまうのは長年の癖だった。あらゆる思考が口から漏れ出ても、聞いてくれるのは自分だけ。
 緑谷出久十四歳、中学三年生。
 ヒーロー志望、“無個性”。
 ――志望校が被ったからと言って、受験するなと釘を刺され、「将来の為のヒーロー分析ノート」を教室の窓から投げ捨てられたところだった。

 世界人口の約八割が何らかの“特異体質”である超人社会となった現在。
 その約二割に含まれた出久の夢を、目標を、幼馴染やクラスメイトに笑われることは、今日が初めてではない。
 毎日ではないけれど、まあ、時々、思い出したように、よくたまに。
 “無個性”と周知されてからは、そこそこ、定期的に。
 それでも、もう挫けまいと決めていた。
 “個性”が発現しないと診断された四歳の時から。初めて挫折を知ったあの日、これを最後の挫折にしようと決めた。
 どんなに困っている人でも笑顔で救けちゃう、超カッコイイヒーロー。
 それになるまでは、決して。

 出久は、靴を履いて校舎の裏手に回った。爆破の“個性”で表面は焼け焦げてしまったが読めはするだろう。今朝書き殴った分も整理しないといけない。ボロボロになったからといって、捨て置く理由はどこにもなかった。
 ノートは、今年で十三冊目になる。
 多種多様に“個性”を持つヒーロー達を、ニュースで、動画で、記事で、時には現場で見聞きし、書き連ねてきた。4歳の頃からずっと。最早習慣になっている。
 ヒーローの“個性”はもちろん、特有の働きや特性、メリットとデメリット、発動するタイミング、動き方。ヒーロー同士の相性、連携、“個性”を組み合わせた時の相乗効果。ヒーローコスチュームのデザインと機能について。ヒーロー事務所ごとの特色。多種多様に“個性”を持つヴィランの大まかなパターン化、それに対して有利・不利なヒーローは誰か。
 中には、自分がヒーローになった時の、あれそれも。
 文字通り「将来の為の」大事なノートだった。
 捨てられていいものではない。
 笑われていいものではない。
 それなのに、一言も言い返せなかった。
 ――“出久”は。
「……お礼、言えなかったな」
 ノートを探す足をぴたりと止め、空を見上げる。出久が大きくついたため息を追いかけるように、桜の花びらが舞い落ちた。
 出久には、幼馴染がいる。一人は先ほど自分のノートを爆破したかっちゃん。もう一人は――幼馴染だと思っているのは、もしかしたら自分だけかもしれない。
 無下野入者、同い年、小学校一年生から中学三年生の今日まで実はずっと同じクラス。“個性”は、『“個性”を無くす“個性”』。
「無効化ってすごい“個性”だよなぁ本当やっぱり初見殺し的に使うのが一番効果的に相手の“個性”を封じられるとは思うけど仮にヒーローとして“個性”を使うとしたら“個性”発動の条件から言って遠距離から攻撃してくるようなヴィランとの相性は悪いからそれを補助してくれるサポートアイテムやサイドキックとの連携は必要になってくるかもしれないなしかしヒーローはその名前と顔が知れていくにつれ自ずと色んな人に“個性”は知られちゃうわけでプロヒーローの中にも秘匿しておいた方が強い“個性”って結構あるよでも必ずしもデメリットばっかりでもなくってその場にいるっていうだけでも相手はいつ“個性”を無効化されるかわからないから牽制になるし、
 さっきだって多分あれかっちゃんに“個性”使ってたよね精神的な作用も考えると使いどころによっては“個性”が知られてることは悪いことばかりでもないっていうか」
 ブツブツブツブツブツブツ。
 先ほど見た光景を思い出しながら次々に流れる考察は、以前にもノートに書き綴ったことがある。
 出久は、ヒーローに限らず、身近な「すごい」と思った人の“個性”をチェックしていた。
 幼馴染達も、例外ではない。
 その二人が、廊下で言い争っていた。さっき。具体的には、かっちゃんから受験するなと釘を刺され、「将来の為のヒーロー分析ノート」を教室の窓から投げ捨てられ、あんまりな暴言に意を決して振り返っても結局声すら上げられず、震えて立ち尽くしたあと。
 時間を空けてから教室を出たのに、少し歩いた先に彼らはいた。
 あのかっちゃんが、大人しく胸ぐらを掴まれていて。 

「それが、ヒーローになりたい奴が言う台詞かよ」

 入者がそう言った。
 確かに聞いた。
 ……怒って、いた。
 正直、幼馴染だからって、同じクラスだからって、特別な交流はない。登校中に出会うことがあっても、挨拶すらぎこちない。いつしかそうなった。
 “無個性”の出久と、“個性”を無くす“個性”の入者。
 二人でいると『“無個性”コンビ』と笑われた。
 六歳、出会ったばかりの頃、彼は“個性”をコントロール出来ていなかった。誰彼かまわず“個性”を無くしてしまって、それが一時的なものでも、随分と周りから疎まれていた。
 出久には無くす“個性”が無い。「初めまして」「よろしくね」と握手をした時も、「すごい“個性”だね」と褒めた時も、入者は泣いていた。
 同じヒーローに憧れていたのもあって、すぐに仲よくなった。夢を話し合った。
「勝手に“個性”を無くすなよ! あっち行け!」
「“無個性”が伝染る!」
「デクが伝染るぞー!」
 ……自分のせいで、彼まで笑われるのは、嫌で。
 距離はあっという間に開いた。話さなくなった。もう何年も、少なくとも中学校の三年の間はそうだった。
 だけど、出久は知っている。
 クラス中が出久の夢を、目標を、指をさして馬鹿にしても。
 入者だけは出久を笑わない。
 表立って庇うことは出来なかったと思うし、して欲しくもなかった。また、彼まで笑われてしまう。
 ヒーローを目指している。ヒーロー科を志望している。名門中の名門を、志望校にしている。
 ――“無個性”なのに!
 出久を、“無個性”を笑ってもいいんだという空気を、彼だけは是としないでくれた。
 そんな空気を彼自身が変えてくれたことだって――おどけて笑いを取ったり、急に保健室に行ったりだとか――一度や二度ではない。
 それが、どんなに心強かったか。
 だから出久は、知っている。
(僕の為に、怒ってくれた)
 自惚れでも、勘違いでもなく、出久にはそれが知れた。
 かっちゃんが去ったあとでなんとか勇気を出して声をかけたが、お礼は言えなかった。
 入者は逃げるように――実際逃げているんだろう――行ってしまったから。
 走り出してしまった背中を思い浮かべて、もう一度手を伸ばす。おろす前に、ぎゅっと握りしめた。意味なんてないのに。
 だけど、そうしたかった。
 言葉に出来なかった気持ちを噛みしめるように。
 拳を、胸にあてる。
 憧れはいつもここにある。
 彼の憧れは、今もあるんだろうか。あるといいなと、出久は思う。
 お互いに、こっそりと明かした夢。

 ――僕は、どんなに困ってる人でも、笑顔で救けちゃう、
 ――おれは、おれはね、来ただけで皆が安心出来ちゃう、

 そんなヒーローに。

「……、」
 ふと、昔むかしに呼んでいた彼のあだ名を呟こうとして、やめた。今呼びかけたって仕方ない。
 叶うことなら、また、あだ名で呼び合いたいけれど。
「……そもそもあだ名で呼んでたのってあの頃だけだから覚えてないかもしれないし……そういや僕はイズって呼ばれてたんだっけ、懐かしいなぁ……いやいや、というかまずはお礼を言うところからだろしっかりしろ僕……」
 長い早口の独り言は、桜と池の鯉だけが聞いていた。


 もしも歩く道が同じなら、いつか。