銀の折り紙
01
人は、生まれながらに平等じゃない。
「“無個性”が伝染る!」
「デクが伝染るぞー!」
「あっち行けよ無個性コンビ!」
これが齢六歳にして知った社会の現実。
「ち、違うよっ、は、凄いんだっ! 僕なんかと一緒にするなよ!! ば、ば、ば、びゃかに、するなあっ!!」
「……!!」
「へぇー? どう凄いか、見せてもらおうじゃねーか、なあ!!」
そしておれは――この日から、ずっと逃げ続けている。
青く晴れた空にひこうき雲が走っていくのを、今でもよく覚えていた。
「だあっ、またかよお」
――は野次馬が嫌いだ。気持ちよく晴れた春の朝、通学路なら余計に嫌いだ。首を伸ばして、手を伸ばして、スマフォを構えて、事故・事件を取り囲み、エンターテイメントに仕立て上げる、野次馬が大嫌いだ。目の前に広がる人垣から数メートル離れて、仕方なく、“終わる”のを待つしかない。
原因はすぐそれと知れた。“陸橋の上で暴れている人がいる”。
だいたい、とは思う。輪の中心ばかり目を向けて、輪の外側に無関心なのはいかがなものか。
には、道を塞いで並ぶ有象無象の尻ポッケや鞄の中で、
「おはようございます、いい天気ですね! ちなみに僕は財布です!」
「まあ! 奇遇ね、私も財布なの!」
そんな風に、爽やかに挨拶を交わしているようにさえ見える。あまりにも無防備すぎる。現に、“観戦”する野次馬を狙ったスリ・引ったくりの年間被害件数は毎年記録更新中で、ちょっとした社会問題になっていた。過去に危ないですよ、なんて注意したら、じろりと睨まれた事があるので、以来知らぬ存ぜぬを貫いている。
「うわでっけー尻」
――突如。ずうん、と地響きがした。
輪の外から見ていたにはよくわかった。
渦中の犯人が、突如蹴り飛ばされていった音である。
わあっ、と歓声があがり、カメラのシャッターが次々に切られていく。
「本日デビューと相成りました、Mt.レディと申します! 以後お見シリおきを!」
ピッタリとしたボディスーツに身を包んだ尻、もとい女性のにこやかな自己紹介が、ここからでも見えた。
なんせ女性の体長は、二十メートルを超えている。
犯人ならば、五メートルはあっただろう。
なにも珍しくない、朝の登校風景。
「まあた新しい“ヒーロー”のご登場ってかあ。オメデトー」
輪の中心に向かって、届かない拍手を三回だけ送った。
――事の始まりは中国軽慶市。“発光する赤児”が生まれたというニュースだった。
以降各地で「超常」は発見され、原因は判然としないまま時は流れる。
混乱渦巻く世の中で、かつて誰もが空想し・憧れた一つの職業が脚光を浴びていた。
“ヒーロー”。
「超常」に伴い、爆発的に増えた犯罪件数を前にして、勇気ある人々が立ち上がった結果、「架空」は「現実」に。
ヒーローはたちまち市民権を得て、今では公的職務に定められている。
世界総人口の約八割が、何らかの“特異体質”である超人社会。
超常能力――“個性”を悪用する
今まさに、壊された建物の瓦礫は退かされ、破損部分の修繕作業は既に始まり、警官による交通規制は速やかに解除された。役員や駅員に頼めば遅延証明書も発行してもらえるだろう。
「超常」からたった数世代で、それらは、当たり前の構図に、景色に、日常になっていた。
「架空」は「現実」に?
残念ながら、にはピンと来ない。コミックヒーローさながら、とも思えない。
生まれた時からにとって――ヒーローは既に「現実」だった。
その間から、徐々に見えてくるモジャモジャ頭に、はこっそりため息をついた。
「あ……お、おはよう」
「……はよっす」
いつも最後列で、道が開くのを待っていると。
いつも最前列の彼と、ぎこちないおはようをすることになる。
緑谷出久、タメ、クラスメイト。
「えっ……と、じゃあ僕先……行くからっ」
緑谷はそそくさとノートを鞄に仕舞うと、逃げるように――実際逃げているんだろう――駆けていった。
「アイテテテ」
胃がきりりと痛む。“もうずっとそうだ”。
よっぽど問題だと思うのだ。
スリだか、引ったくりだか、上昇する犯罪率だとかより。
小学校から同じ学校の同じクラスの“クラスメイト”と、挨拶一つまともに出来ない方が。
「財布のがよっぽどマシだってコレ……」
がっくりとしゃがみ込んで呟いた。
十四歳。“個性”は『“個性”を無くす“個性”』、中学三年生、春。
わざとらしい程大きくついたため息を、桜の花びらが追いかけていった。
「今から進路希望のプリントを配るが、皆!」
同日、HRの時間。
教壇に両手を叩きつけて、先生が声を張り上げたかと思うと、
「だいたいヒーロー科志望だよね」
くるりと生徒達に背中を見せながら、ほがらかな口調でそう続けた。振り返る勢いで、空中へ遠慮なくぶん投げるものだから、盛大にひらひらと舞う――進路希望のプリント。
「普通に配ってほしい(普通に配ってほしい)」
普通に配ってほしいあまり声に出ていたの呟きは、たちまちにかき消された。教室には「はーーーい!」という熱烈なよい子のレスポンスが響き渡る。
皆が皆――例外はいるとしても――得意げに、我こそはと“個性”を発動させた。火や風を巻き起こす者、物を浮かせる者、体の一部を変化させたり、自在に操る者。
……進路、ヒーロー科、“個性”で溢れかえる教室。入者はこんちくしょ、と口の中でぼやく。
もう既に胃が痛くなる予感がしたからだ。
「うんうん、皆良い個性だ!」
十人十色の個性が教室中に溢れかえり、先生の「でも校内で"個性"発動は原則禁止な!」という言葉で一旦静まった――のだが。
「せんせえーーーー“皆”とか一緒くたにすんなよ!」
横柄な声と態度――彼は机の上に足を投げ出している――が、また場をざわつかせた。
あーーーーうわーーーーーあーーーーもーーーー。
はこっそりと頭、ではなく、腹を抱える。
「俺はこんな“没個性共”と仲良く底辺なんざ行かねーーーー、よ」
爆豪勝己、もちろんタメ、クラスメイト。“個性”『爆破』。
胃がきりりとまた痛み始めた。慢性的な胃痛で、心因性、つまりストレスが原因なのは分かりきっている。
がかれこれ八年は抱え込んでいる、常日頃のストレスは。
「――“没個性”どころか“無個性”のテメェが、なあんで俺と同じ土俵に立てるんだ!!?」
爆豪勝己と、
「べっ別に張り合おうとかそんなの全然っ、本当だよ!! ――ただ……小さい頃からの、目標なんだ……」
緑谷出久。
この二人が、長らくの胃にストレスを与え続けてきた、他でもない原因だった。
机の下で腹に片腕を回し、ぐっと押さえつける。それで和らぐ痛みではなかったが、しかめっ面のがこうすると、ただの腹痛――だったらどんなに良かったか――に見えるので、いつもそうする事にしていた。
の嫌な予感は、見事に的中した。
話の流れで、爆豪と緑谷の志望校が同じことをぽろりとこぼす先生。
志望校はプロヒーローを多数輩出している、名門中の名門・国立雄英高等学校。
頭が良いだけでは入れない、無理だろと噴き出すクラスメイト達。
緑谷の机を爆破――表面を焦がす程度の力――で威圧しながら、じりじりと追い詰める爆豪。
そして、追い詰められながらも、笑われながらも。
「やってみないと、わかんないし……」
――そう答える緑谷を、どうして、馬鹿に出来るのか。
それが分からなくて、分かりたくもなくて、の胃は今日も激しく痛むのだった。
「なァにがやってみないとだ!! 記念受験か!!」
「こらこら、爆豪そんくらいにしとけー。おーい、お前“止めて”やれー」
不意に投げられた先生からのパスに、はへらりと笑い、ぱっと両手を上げてみせる。
「えーーー? 爆豪クンが怖いから嫌でーーーす」
「あァ?! ンだとてめェ!!」
「うーーーわーーーこわーーーーい」
今度はのお手上げポーズに、クラス中が笑った。それにほっとしたのは、自分だけじゃないといい。
そう思いながらも、は、いつも緑谷の顔を見ることが出来ない。
――緑谷出久は“無個性”だった。
およそ四歳までには発現し、その後の人生――あるいはその人間の根幹――に大きく関わってくる“個性”。
約八割の人間が“個性”を持つこの世代では珍しい、何にも宿っていない型であるらしかった。
だから“個性”を持つクラスメイトは、笑う。呆れる。馬鹿にする。
「てめェが何をやれるんだ!?」と。
そんな日常を歩んで来て、誰よりも緑谷が、一番知っているはずだった。
「無個性の自分」が、「超難問の雄英高校」を「志望校」にするという事が、
絶対に、笑われて、呆れられ、馬鹿にされるという事を。
それなのに――それなのに。
緑谷出久は誤魔化さない。
自分の夢を。
目標を。
「イテテ」
「……くん、お腹痛いの? 大丈夫?」
「うーーんそーーかも? 登校中に拾い食いしたかもしんない?」
「なにそれ」
八の字に下げた眉のまま情けなく笑うと、前の席の女子はぷっと噴き出すして、隣の席の男子は身を乗り出してくる。
「えーまた腹いてえの? ウケるー姉ちゃんの“個性”で治してもらえ!」
「えーーやあだよ、もしかしたらねーちゃんのせいかもしんないじゃん?」
「なんでよ」
「早く起きろって毎朝ボディーブローされる」
「それのせいだろ?!」
「あははやだもー」
「ソユコトー」
(あと何回分あったっけっかなあ……)
流れるように誤魔化しながら、は胃薬の残量に思いを馳せた。もちろん姉にボディーブローして起こされる、なんて真っ赤な嘘である。ごめんねーちゃん。
中学三年生男子としては、まさか「腹痛じゃなくて胃痛です」とは、言えない。オトコノコの意地、誇り、尊厳などを守るため――簡単に言えば“かっこうわるいから”だ。とてもじゃないが「小一からのクラスメイト達のやり取りを前にして日々胃を痛めています」とは、まさか言えない、言えるはずがない。バレたくもない。
「お大事にねー」
「アリガトーネー」
「早起きしろよなー」
「ハアーイ」
「絶対しない返事じゃんそれ」
よってはいつからか、「まあ本人笑ってるし大丈夫だろう」そう判断して貰えるような、微妙~な感じの笑顔を習得していたのだった。
「今日出さなかった人は来週までによろしくなー」
ハテ? は首を傾げた。
私語を慎むようにと、二度ほど手を叩いて注目を集めた先生が言った。
手元に届いたのは、一番前の席から後ろの席へと一枚ずつ回されて来た、床からかき集めたせいで所々端が折れていたりよれている――進路希望のプリント。
「普通に配ってほしい(普通に配ってほしい)」
普通に配ってほしいあまりに声に出ていたの呟きは、やっぱりよい子のレスポンスにかき消されてしまった。……なんで皆突っ込まないんだ!!
憤りをぶつけたくても、目の前には薄汚れたプリント、打って変わって静かな教室、カリカリ、コツコツ、鉛筆の走る音がするだけ。
今度は誰にも聞こえないように、ゆっくりと、小さくため息をつく。
――カリカリ。コツコツ。
――カリカリ。コツコツ。
淀みなく、至る所で、鉛筆は走る。
ちらりと横目で見ても、ほぼ全員が書き出している。……もちろん、緑谷も。
「(わかんないんだよなあ、もう)」
何になりたいか。
何に、なりたかったか。
ヒーローに憧れ、ヒーローを目指す。それがほとんど当たり前のような世の中で、少しだけ、ほんの少しだけ、は息苦しさを感じていた。
(ちっ、違うよっ、は、凄いんだっ!)
(アタシはアンタに、それが“当たり前”だなんて、思って欲しくないからね)
の鉛筆は、くるり、くるりと回されて――結局、音を立てることはなかった。