召喚師の殺し方
その日、少年は悩んでいた。これからのことや、自分が存在する意味、価値について。このままなんとなく、毎日を過ごしていいんだろうかと、漠然とした不安があった。
その日、少女は悩んでいなかった。これからのことも、自分が存在する意味、価値について。そのままなんとなく、毎日を過ごしていたし、疑問すら感じていなかった。
少年は、声を聴く。
少年は、喚ばれるべくして呼ばれたのかもしれない。
少女には、聴こえなかった。
少女は、喚ばれてはいなかった。
決して、呼ばれてはいなかった。
「大学ってこんな感じかなぁ?」
横を向いても、後ろを向いても、誰一人として座っていない。広々とした講堂で、最前列に座る人間が、感想を漏らす。
「まあ見たことないけど!」
十代のちょうど中頃。大学を受験するにしても、あと二年は猶予のありそうな少女。
不健康そうに見えた。顔色は青白く、頬はこけていて、ぱさついた髪が傷んではねている。まるで寝れていないのか、色濃く隈があった。
壁の一面に、大きな黒板が掲げられている。黒板のすぐ目の前、真ん中の床だけが他よりも高く、小上がりになっていて、立派な机が設けられている。その立派な机を中心にして、扇状に机と椅子が何組も広がっていた。机は、横に長く、一台に八つずつ椅子が並ぶ八人掛け。後ろでも黒板が見えるように、部屋は平面ではなく、奥に行くにつれ傾斜がついている。
教壇、教卓、教室と呼べるもの。
「……まだかなあ」
やや伸びすぎた前髪から覗く瞳は、ぎらぎらと輝く。何かを期待しているかのように。
大きな机には、ノート、ノートから破ったページ、羽根ペン、インク、きれいに折り畳まれたはんかち。はんかちには、紫の石――サプレスのサモナイト石。
すっかり待ちくたびれた様子で、「こんなの書けるわけないじゃんねぇ」と、またひとり言を呟いた。
破ったページには、試し書きの痕がいくつも残っていた。ぽたぽたと垂れてしまったインクが水玉模様を描いている。乱雑に書き殴られたほとんどが、文字にもなっていない。
羽根ペンなんて触ったこともなかった。シャーペンもボールペンも、おそらくこの世界には存在しない。
着ていたはずの制服や学生鞄は、いつの間にかどこかに消えていた。
何にもなかった。
買ったばかりの消しゴム、休み時間に貰った飴、定期入れ、自転車の鍵、学生証。
「高校生のわたしは、死んじゃったんだなあ」
『……さっきからブツブツうるっせェんだよ』
「わーーーっ!?」
しみじみした呟きは、途端に叫びに変わった。
怒気をはらんだ声は、石から飛び出してきた。
「びびっびっびっくりしたっ、急に喋んのやめてよぉ!?」
『あァ?! クッソくだらねェ独り言聞かされる俺の身にもなりながれ』
「きっ聞かなきゃいいんじゃないかな?!」
『聞こえてくんだよッ!!」
「ええっ!? ごめんね!?」
『少しは黙ってろニンゲンッッ!!』
「うん!!」
『!?』
素直に元気よく返事をすると、少女はぴたりと静かになった。一度だけ「ケッ」と面白くなさそうな声がして、それきり石も静かになった。
(………“話しかけられてうれしい”、が伝わっちゃったかなあ……それはそれで、恥ずかしい……)
指先で石の表面をなぞる。なんとなくだけれども、自分が今どんな気持ちでいるか、悪魔にはいつでもバレている気がするのだった。
初めて見た時から綺麗だった紫は、昨日からかすかに光っている。生きているみたい、と少女は笑う。それから、
バルレル。
口の中だけで刻印を呼んだ。
「お待たせ、」
少女――が顔を上げると、教壇にはうんと幼い少年が立つ。少女より、五歳は年若い。けれど彼の蒼碧の瞳は、老人のように落ち着き払っていて、慈愛に満ちている――ように見えた。
「エクスさん。……じゃなくて……え、エクス」
「うん、それがいいよ」
エクスと呼ばれた少年はにっこり微笑み、白墨を手に取る。
「早速始めようか。題して、」
かつかつ、柔らかな音が耳を打ち、やがて黒板に白いミミズが生まれた。は、慣れない羽根ペンをどうにか動かして、そっくりそのままノートへ書き写す。
「“召喚師の殺し方”」
「わーい!!」
『……………………はァ?』
の歓声に、呆れ返ったバルレルの声が、重なった。
約束を交わしたのは、つい昨日。がバルレルを還し、部屋がまたしても大荒れに荒れた日の、お昼のこと。
ノックが軽く三回されて、「やあ、調子はどうだい」いつものように入ってきたエクスに「こんにちは」挨拶を返し、きちんと向き合ってからの――開口一番。
「召喚師の殺し方を教えてください!」
「いいよ」
元気よく勢いよく、ぶん! と頭を下げた“おねがい”は、至極あっさり頷かれた。
ゆっくり、おそるおそる頭を上げても、エクスは微笑んだまま。何度か瞬きをして、じいっと見つめても、身動ぎもしない笑顔。ほんとうに、いつもの笑顔だった。今までが何度叫んでも、喚いても、泣き叫んでも、泣き喚いても、変わらなかった笑顔。
いいんですか?
馬鹿げた言葉が喉まで出かかって、抑えた。どうしたって馬鹿げている。召喚されてきた女が、召喚師に、召喚師の殺し方を乞う。
そして、許された。
馬鹿げている。狂っている。
「ありがとうございます!」
それなのに、お礼は自然と笑顔になった。
――おかしいな、変だな、でもきっと、手遅れだな。それでもいいや。
ぎゅっと手に力を込める。手の中には、ずっと握り締めたままの、紫の石。
おかしくても、とち狂っていても、それでも。
全部、全部、自分のために。そうしたいと思った、自分のために。
そのためなら、どうなったっていい、なんだっていい。
「じゃあ、明日でもいいかな、きみも疲れてるだろうしね。ああ、折角だから一階の講堂を使おうか」
「一階」
「うん、一階。ちなみにここは最上階で、五階だよ」
「五階」
……講堂? 一階? 五階?
混乱して固まるに、事も無げにエクスが続ける。
「部屋を片付けて、ご飯を食べたら、この離れの案内をしよう。庭にも今、アルサックと言ってね、きれいな花が咲いているんだ」
「…………わたし、もう、出てもいいの?」
どうしたって馬鹿げている。閉じ込められていた女が、閉じ込めていた張本人に問い返す言葉としては。
だって、気が付いたらこの部屋にいた。ずっと。今までが何度叫んでも、喚いても、泣き叫んでも、泣き喚いても。
――エクスは笑う。首輪の嵌められていない首を、歪んだことすら忘れていそうな肉を眺めて、笑う。
「そう、敬語じゃなくていいんだよ」
こうして一月あまり続いたの軟禁は、約束を取り付けると共に、終わったのだった。
黒板に向かったエクスは、書き出すのを止めて振り返る。
「本題に入る前に、最初から説明してもいいかな?」
うんと幼く見えるのに、教卓に両手をつく姿はまるで先生そのものだった。流石のでも(魔法が使える世界だから、見た目通りの年齢じゃないんだろな……)、察しが付く。
(……見た目通りの年齢でわたしのこと軟禁してたらそれはそれで嫌だけど)
「最初から?」
どこからだろ、と首を傾げるを、エクスは教壇からわずかに見下ろす。
「。君は此処・リィンバウムに召喚された。ボクが発見した時、きみの肉体は不安定で、自我もなかった。このことから、召喚の儀式自体、不完全だった可能性が高い。儀式に失敗していた場合、召喚師が無事だとは思えない。召喚師の所在、目的、生死は不明。元の世界にはまず還ることが出来ないだろう。
ここまでは、いいかな?」
よくないな。
全然、よくないなあ。
「…………うん」
沸騰してたちまちに溢れてしまう煮え湯のように、せり上がって来た諸々を、はぐっと抑え込んだ。エクスはが置かれた状況を、説明しただけに過ぎない。受け入れ難い現実だったし、叫び出したい気持ちもある。けれど、閉じ込められた一月の間に、の理解は追いついてしまった。
(あの月)
眠れない毎日に、見ようとしなくても、“異物”は視界に入り込み、煌々と輝いた。窓枠には到底収まりきらない、夜を埋め尽くす天体。酷い違和感に、まざまざと思い知らされるしかなかったのだ。うさぎのいない大きな月は、実感を照らし出してしまった。
違う世界にいることを。還れないことを。
「……質問、してもいい?」
「どうぞ」
「わたし、目が覚めたらもうあの部屋だったんだけど、その……肉体が不安定? 自我がない? って、どういう……? どんな感じで……?」
聞いたところで今更どうしようもなかったが、記憶もない上に想像もつかない。ただ、自分に起こった出来事とは到底思えないには、気味が悪かった。
エクスは、首を傾げながら眉根をぎゅっと寄せるを、注意深く観察していた。先程”最初から説明した”時でさえ――つまり、あからさまな動揺を誘った後でも、彼女の身体に変化はない。
「……そうだなあ、もう、言ってもいいかな」
――動く物ならなんでも取り込む、巨大な半透明の肉塊だったよ。
「大きな、赤ん坊みたいだったよ。魔力の塊で、いつ周囲を巻き込んで暴走するかわからない、極めて危険な状態だった。だからボクが“保護”しに行ったんだ」
『……なるほどなァ』
エクスは嘘をつかなかった。けれど、全てを伝えなかった。
バルレルだけが――人間の「負の感情」を糧とする悪魔だけが、わずかな違和感に気づく。
結果そうなったというだけなんだろう。そんな苛烈な存在を、“保護”しに赴くわけがない。
「ひえ……なにそれ怖…………」
もちろん、は少したりとも気づかなかった。
「今まで出してあげられなくて、ごめんね。きみに、きみがそんなにも不安定で在ることだけは伝えられなかった。ほんとうに、危うかったんだ。きみの部屋には一応、術を施していたんだけど、もし」
「もし?」
「もしきみの魔力が暴発したら、被害はこの離れの一つや二つじゃ済まなかった」
一度ひゅっと息を吸い込むと、上手く呼吸が出来なくなる。
「……そ、……そうなん……だ……」
半信半疑には出来なかった。壁や扉を何度も何度も叩き続けた手にはうっすら?痣が残っているし、引っ掻いた爪の先は不揃いでぼろぼろのまま。そうまでして、閉じ込められていた理由。
わたしが悪いことをしたんじゃなくて――わたしが、”悪いこと”だったんだ。
の手が、はんかちに伸びる。ほとんど無意識だった。縋るように、石を強く握り締める。でももう大丈夫だよ、暴発の心配はまずなさそうだ。、きみの状態はすっかり安定している。からりと明るい声で続くエクスの言葉は、話半分にしか入ってこない。
「その悪魔のおかげだね」
『あァ?』
「……え、」
衝撃に麻痺していた頭が、悪魔に反応した。
「きみは魔力の塊だった。意識が覚醒した後でも、それは変わらなかった。おそらくだけど、元々きみの魔力ではなく、儀式の影響だろうね。自分の物じゃなければ、制御も出来ないし、だから不安定だったんだろう。……ここまでは大丈夫?」
「う、うん。な、なんとか……」
エクスは、すらすらと淀みなく答えていく。
「大きすぎる魔力は、悪魔を喚んで、誓約して初めて落ち着いたんだ。何か捌け口があれば安定するだろうとは思っていたけど、まさか召喚だけじゃ足りないとは驚いたよ。そして、自分から力を使ったことによって、魔力はきみの物になり始めている。だから、徐々に慣らしていこうね」
「そういう物なの……??」
「そういう物なのさ」
『……』
悪魔は言わない。確かに膨大な魔力だ。この自分を召喚し、誓約してもまだ余り有る。もし本当に暴走していたら、建物どころか辺り一帯大地ごと抉れて消え失せていただろう。
無論、召喚に失敗してもそうなっていた。
それを知りながら「捌け口」として、あの檻に石を投げ入れたのか?
儀式すら知らないニンゲンに?
――正気じゃねえ、このガキ。
「それから、どうしてだか“二重誓約”が解呪されているね。いつだろう、誓約の時にかな? 理由はボクにもわからない。サモナイト石自体が“門”になっているのも、何か関係があるのかな。ねぇ、悪魔くん?」
『……俺に話しかけんじゃねえ』
「ぎゃみんぐ? げーと?」
「うん、それは追々説明するね」
「うん? うん……でも、そっか、そっかあ……」
は何度も小さく頷きながら、手のひらの中に閉じ込めていた石を覗き込む。
「ありがとう、バルレル」
『……うるっせえなァ!! 悪魔に感謝なんざするんじゃねェ糞が、アァ!? 胸ッ糞悪ィ!!』
「えへへへ」
心底拒絶された声音の悪態を吐かれてもはうれしかった。やっぱり、ぜんぶ、なにもかも。
悪魔のおかげ。
バルレルの、おかげ。
「――さて、そろそろ本題に入ろうか」
始終穏やかだったエクスの声が、少し固く聞こえてははっとする。
本題。
召喚師の殺し方。
なんでもしよう。なんだってしよう。なんとでもしよう。
そのためにすべてをつかおう。
夜空に瞬く星のように、ちかちかと目を光らせて、息を弾ませ、頬は赤く――生き生きと、は前を向く。
にっこりと、エクスは笑って教えてくれた。
「三食ご飯を食べること。決まった時間に寝て、起きること。それから、適度な運動と、勉強さ」
「…………はい?」