「迷いました!」
 嬉しそうに聞こえたと思う。そうしてやっぱり、笑われた。
 あたりまえだけど、土地勘はまだ全然ない。あらかじめ教えてもらった(一獅ノ歩いてもらった)通学路を、一本でも外れてしまえば、街は素知らぬ顔で出迎えてくれる。それがこんなにもわくわくする。
 新しくはじまったばかりの生活に、不安がないわけじゃないけれど。
「ずいぶん嬉しそうな迷子ですねぇ」
 期待だけ降り注ぐ理由は他にない。
 金曜日だからか、すれ違う人は足早で、どこか浮かれて見えるのは、自分がいちばん浮かれているからに違いない。浮かれてしまう、はしゃいでしまう。一緒の帰り道、ただそれだけで。
「迷子なんて久しぶりでしょう?」
 そりゃあねえ、と言われながら、ほんとうは迷っていないことを知っている。さっきから兄は携帯を片手に、現在位置を逐一確認してくれていた。安心した迷子の気持ち、なんて矛盾もいいところだ。
「あっちはなんでしょう? にぎやかですね!」
「あーなんでしたっけ、なんか行列の出来るなんとかなお店がどうだとか」
「ものすごく曖昧ですね」
「これから明確にしてみせます」
 道を探して手を引いて、じゃあ行ってみましょうと手を引かれ、帰り道、寄り道は長くなっていく。
 日暮れが早くなったので、辺りはもう真っ暗。見上げた高い空の雲――「ひつじですかね?」「いわしじゃないですか」「ジンギスカン!」「焼き魚!」――が、薄紅色と金色と、夕日色に染まっていた。夏の終わりと秋を感じる。食欲的な意味で。
「たいへんです、兄様」
 入ってみたご飯屋さん(行列の出来るなんとかなお店)で、頼んだものが来る前に、言ってみる。ちっともたいへんじゃなさそうな口調に、なんですか、と視線だけで言いながら、兄はおしぼりで手を拭いている。
「……わたし、道覚えられないかもしれません」
 理由は、言うまでもない。
 言葉にしてから、すこしだけ恥ずかしくなって、目を伏せた。視界の端でサムズアップされた気がする、気のせい。
 頼り甲斐のありすぎる兄は、妹に頼られるのがとても、おすきなようで。
 一度だけ大仰にこほん、と咳払いがされた。
 窘めてくれたっていいのに、
「安心して迷いなさい」
 私の隣でって、そう言うんでしょ。

Oct.04Oct.06