銀の折り紙

03


「おにいちゃん、あそぶー?」
「アソブー!」
 中学生のは、単なる店番・時として子守要員として、受付にいることが多い。
 言いつけ通りに洗濯物を取り込み、軽く畳んで所定の棚や箪笥に仕舞い、学ランを脱いで白衣に着替えて来るまで10分もかからなかった。我ながら訓練されてるよなあ……とは思う。家事は全員でやるものだったが、何かと雑用を押し付けられている回数は断トツぶっちぎり一位だ。母は怖いが、頑張った分は小遣いに上乗せしてくれるし、姉……は怖いというか逆らうと面倒くさいので、結局はせっせと雑用をこなしている。なにせ年頃のオトコノコであるので、女性陣の下着を取り込む時は、ただひたすらに無心を貫いていた。
 待ちかねていたお子さん(雪山さん家のツララちゃん)を預かると、雪山さんはまたお礼を言った。ちょうどよく順番が回ってきたようで、カーテンの向こうに呼ばれた雪山さんを、ツララちゃんと一緒に手を振って見送る。
「なにしてアソブー?」
「えほんがいい!」
「アソブ……とは……」
 待合室の一画は、狭いながらも子供用のプレイマットが敷いてあって、子供用のおもちゃ箱と、子供用の絵本棚があった。整骨院は、商店街のほとんど端っこに建っている。買い物帰りの親子連れでも、気軽に寄ってもらえるように、という院長である母の狙い・配慮だった。
「はいはい、絵本ね」
「はい、はいっかいでしょ?」
「……ハァイ」
 カーテンの向こうからくすくす笑う声、盛大に吹き出す音、「ご、ごめんなさい!」と謝る声が聞こえた。いいけどね!!
 はプレイマットの前でスリッパを脱ぎ、胡座をかいて座る。絵本を選んだツララちゃんを膝に乗せた。さらにツララちゃんの膝には、ぬいぐるみが乗った。ちいさな、丸っこい猫のぬいぐるみは、どこに行くにも寝るのも一緒で、大のお気に入り――もとい、“ともだち”らしい。
「むかあしむかし、あるところに……」
 ここからは、商店街の通りがよく見渡せる。ベルのついた扉の脇、通りに面した壁の一面を、大きな大きな窓がぶちぬいていた。ブラインドで目隠しも出来るようになっていたが、基本的には開けっ放し。
 院内の雰囲気や混み具合が一目でわかるように、というのが理由だそうで。
 それはつまり、
「………………。」
 ――が子供を膝に乗せ、読み聞かせている様子が、商店街の通りから丸見えということでもあった。
 あらあらまあまあ、というお母様方・お姉様方の目線には、最早慣れてしまったである。現に今、手を振られた。
 商店街で買い物をすれば、そこそこオマケをしてもらえるし、評判も悪くないである。ガラス越しに「おっ今日も偉いねえ! 今度うち寄ってきな!」と声をかけられるのもしばしばだ。
 しかし、しかしだ。年頃のオトコノコとしては、何かこう、しょっぱいような、苦いような、言葉にはし難い微妙かつ複雑な気持ちを抱いてしまうであった。とりあえず同級生にはあんまり見られたくないかなあ!
「……ねえねえツララちゃーん」
「なあにー」
「オニーチャン、保育士サン向いてるかなーー?」
 鞄の中のプリントを思い出しながら、ふと、思い立って聞いてみた。
 が、
「えーーー」
「えっ……」
 返ってきた声は否定的で、見上げてきたツララちゃんはふう、と大人びたため息をついた。
 吸えって言われちゃうぞ、とも言えない。
「だっておにいちゃん、めっ! てできなさそう……」
「えっ……」
「わるいこは、しからなきゃダメなんだよ……? できないでしょ……?」
「えっ……えっ……」
 若干四歳の少女に断言されてしまったは、二の句を失い、
「……進路相談を、よそ様ん家のお子様にすんじゃないよ」
 もちろん聞こえていた母親の最もらしい言葉が飛んで来て、がっくりと撃沈したのだった。
「もぉ~~いいからつづき!」
「……むかあしむかしあるところに……」
「さっききいた」

 ――昔々、あるところに、少年がいた。
 少年に発現した“個性”は、『人の“個性”を無くすことが出来る』というもの。
 発現したばかりの、コントロールが出来ない少年の“個性”は、
 触れるだけで、
 近寄るだけで、
 最初から無かったかのように。
 相手の“個性”を使えなくさせた。
 およそ四歳までには発現し、その後の人生――あるいはその人間の根幹――に大きく関わってくる“個性”。
「やっと“個性”が出たんだね、おめでとう!」
「お父さんと同じ“個性”なんだ、よかったなあ」
「すごい“個性”だね、ヒーローに向いてるよ!」
 そんな風に口々に、大人たちに祝福された“個性”を、“無くしてしまう”少年の“個性”が。
 怖がられ、嫌がられ、遠ざけられてしまうのは。

 仕方なかった、よなあ。
「……なんということでしょう。醜いあひるの子は、ほんとうは、うつくしい白鳥だったのです」
 せがまれるままに読み聞かせをしながら、ぼんやりと、昔を思った。
 この辺りに越して来たのは、六歳・小学一年生の時。転校初日に「はじめまして」と握手、「よろしくね」と肩を叩かれた途端に、もう、駄目だった。みんな気味悪がって離れていった。ともだちは出来なかったし、いつも一人でいた。
 それが、どうだ。物心がついて、ある程度コントロールも出来るようになった頃。
 下級生の喧嘩や、“個性”を暴発させてしまった子を、止めるために借り出されるようになって、“大人”に頼られることが増えてから、急に。
 輪の中心に、入れてもらえるようになった。
「こうして醜いあひるの子は、ほんとうの自分の姿を手に入れたのでした」
 手のひらがくるりと返された実感を、は覚えている。
 輪の外側に追いやられていた疎外感を、は覚えている。
 目の前の子から、すっと笑顔が消えた幾つもの瞬間を、は覚えている。
「めでたしめでたし」
 自分が来ただけで、しいんと周りが静まる、あの瞬間が嫌だった。
 だから、羨ましかった。強烈に嫉妬した。そして――憧れた。
 “私が来た”と、言えることが出来るあの人に。
(……なつかしいなあ)
 憧れを口にしたことは、後にも先にも、たった一度だけ。母にも、姉にも、クラスメイトにも、言ったことはない。
 あの頃――ともだちが欲しくて、さみしくて、かなしくて、でも自分には、どうしようもないことに、気づいてしまいそうな、六歳のあの頃に。
「はじめまして」「よろしくね」を、笑ったまま言ってくれたのは――後にも先にも、緑谷だけだったから。

 ――ボンッ!
 突然の爆発音に、ビリビリと整骨院全体が震えた。短い悲鳴と狼狽える声があちこちから上がった、外からも! あまりにもわかりやすい、ヴィラン発生の合図に、
ッッ、シャッター閉めな!!!」
「やってる!!!」
「皆さん裏口から避難して!! 急いで!!!」
 母の叫びとほぼ同時、全員が動く。姉は奥の扉を開け、避難を誘導した。はすぐツララちゃんを雪山さんへ引き渡し、壁にあるシャッター開閉ボタンを殴るように押す。
 どの程度の規模の被害、ヴィランかはまだわからない、把握している暇はない。
 ――迅速に行動しろ、絶対に客と命と財産を護れ。
 それが緊急時における家家訓だった。
 自動的に下りていくシャッターに目もくれず、は受付のカウンターに入り込む。机の上に乗っていたものを全て払い落とし、ちゃぶ台返しをするかのように天板に手をかけ――がぱっと開けた。それは最早机ではなく、緊急用超強化対ヴィラン金庫に早変わりする。最低限の貴重品をぶち込んで施錠した。
 ここまで1分もかからなかった。1分以上かかってはいけない。
「終わった!!!」
「良しッ!!!」
 早く来いと母が腕を振る、他に人影は見えない。避難は既に完了していて、母とが最後だった。
 ――ドォン! ボォン!
 爆発は断続的で、合わせてバキバキバキ、と明らかに何かしらの建造物が倒れる音も一緒に聞こえてくる、近付いてくる。は一度も振り返らず、走った。


「だあーーーーっづっっがれだ……、おえぇ……」
「アンタはほんっとにだらしないねぇ、走り込みでもして体力つけな」
「ぜっっったいヤダぁ……」
 裏口から道を一本、二本外れてしまえば、喧騒は遠ざかり、目の前に広がる景色は「日常」のままだった。と言っても、避難して来た人間は多い。軽傷ではあるものの、多少なりとも怪我人もいる。住宅街のど真ん中、小さな公園には、ちょっとした人だかりが出来ていた。有事の際、この辺に住んでいる人間なら、ここに集まれば大体合流出来る。見知った顔触れが何人も揃っていた。
 本日二度目の全力疾走に、は膝に手をついて息を整える。脇腹がずきずきと痛んだ。自分より早く走っていたはずの母は涼しい顔で、ご近所さんから周辺の被害状況、ヴィランの様子を聴き込んでいる。母・入江の“個性”は身体を強化するものではないので、単純に、彼女自身の地力によるものだ。
(母は強しってやつ……??)
 ――ヘドロ状のヴィランが。――ヒーローは何人か来てくれてるみたいだけど。――中学生が捕まってて。
 断片的な情報を聞き流しながら、ねーちゃんたちを探そう、と。
 顔を上げた時だった。
先生! くん!!」
 声を張り上げ、雪山さんが人混みを無理やり掻き分けて駆け寄ってきた。――おっとりした、人の良い彼女が取り乱す理由は、
「ツララを見ませんでしたか?!」
 一つしかない。
「公園まで確かに一緒だったんです、でもあの子いつの間にか……! 何度も呼んでるのに、あの子、どこにも……私、私なんてことを……!」
「雪山さん、ご自分を責めるのは後です。大丈夫、ここいらはアタシ達の庭みたいなもんだ。――田等院商店街商会の皆様方!! ご協力を!!」
 入江の呼びかけに、威勢のいい返事があちこちから上がった。たちまちにツララちゃんの名前と年齢、背格好、“個性”が周知されていく。遠くの商店街の通りからは、まだ爆発音は止まない。何人かずつ固まって、手分けして捜していく。
「お母さん!」
 人だかりが疎らになり、見つけやすくなった公園での姉・汀和みぎわが走り寄る。
「無事でよかった、被害状況聞いた? わたしは残って怪我人みてるね」
 緊急時、とりわけ重宝されると言えばヒーリング系統の“個性”。汀和の“個性”は人の新陳代謝を高めることが出来る、『活性化』。基本的には自己回復の手助けとして施すものだったが、軽傷程度なら治すことも出来る。
「わかった、アンタも気ィつけな」
「ありがと、お母さんもね。……あれ? お母さん、は?」
 振り返っても、姿はない。
「あのバカ」