銀の折り紙

06


 身近なクラスメイトやご近所さん、すれ違う通行人やプロヒーロー。が思い出せる限りでも、片手では数え切れない。いつでもすきな色に変えられる、針として発射出来る、手のように動かせる。髪自体が別の生き物だったり、炎・水・植物など、多種多様に頭部から生やしている人達を、今までどれだけ見てきたことか。
 それ程までに、髪の毛に“個性”が出る人間は、多い。
(――ちっっくしょ、しくじった……!!)
 無数に絡み付いてくる他人の髪の毛は、酷くおぞましく、気持ち悪かった。
 ヴィランの両腕は、の両腕を後ろからがっちり押さえ込み、ヴィランの“個性”――動く髪の毛は、の顔半分と首へ、何重にも巻きついている。
 心臓が早鐘のように鳴っていた。状況は最悪だ。声が出せない、救けが呼べない、両手・両足は動かせない。生理的な嫌悪感と物理的な圧迫感から来る吐き気、それに加えて悪いことに、さっきから、背中が燃えるように熱い。十中八九、傷口が開いてしまっている。状況は最悪の最悪だ。
 けれどまだ、“個性”を発動“させない”冷静さが、にはあった。
(びっくりしたからちょぉーっと出ちゃったけどなあ!!)
 落ち着けおれ、超冷静になれ!!
 深呼吸をしたくても口を塞がれていたので、ゆっくりと瞬きをして代わりにする。何でもない仕草を意識して行うことで、波立った心が少しだけ治まる、ような気がした。自分の迂闊さを一瞬だけ呪い、すぐさま思考を切り替える。
 何故なら、状況を打開するための、圧倒的な攻撃力をは持たない。
 逃げるため、ヒーローを呼ぶため、二手三手先を見越すために。は神経を研ぎ澄ます。
「……お前、ここの商店街の子なのかな、そうかなァ?」
 ヴィラン――体格と声から男、すぐ後ろから聞こえてくるから、背丈は同じくらいか。髪の毛はおそろしく長く、上下左右に動かしていなければ、引きずってしまう程。今知れる相手の“個性”は、髪を自在に動かせる、ぐらいだ。伸縮可能か、不可か。再生可能か、不可か。現状では把握し切れない。
「おっちゃんって言ってたもんな? 仲いいんだよな? じゃあ、知ってるかなァ? “金庫”」
「……っ!!」
 おそらく全ての店舗に備え付けてある緊急用超強化対ヴィラン金庫は、とにもかくにも頑強だ。耐熱・耐水・耐圧・耐衝撃、あらゆる耐久テストをクリアした代物だった。
 耐えて、耐えて、耐えて、だいじなものを護る箱。
「きひ、ひ、ひひ、こんだけ燃えてるさ、おんぼろ木造建築ならさ? きっと、錠前の旧式だろうさァ」
 ――それを、暴いて、かすめ取る。
 視界の隅でくねくねと意地汚くヴィランの髪が動いた。きっと今までもその髪の毛で金庫を解錠して来たのだろう。
「ざ……んな……」
「あぁ? なんだよ、静かにするんだよ、まあ、声なんて出せないだろうけ――?!」
 しゅるる、ずるん。次いで、ブチブチッと嫌な音。
 伸縮可能か、不可か? 可能でも、相手なら不可になる。
 再生可能か、不可か? 可能でも、相手なら不可になる。
 最初から無かったかのように。
 発動したの“個性”が、敵の“個性”をただの髪の毛にする。
「ふっっざけんなよ!!」
 が吠えた。
 体中をあれ程軋ませていた髪の束は、重力に従って、ばさりと地に広がる。
 思いっ切り身をよじるだけで、ヴィランの両腕は呆気なく振り解けた。急いで離れたが、依然として入口はヴィランが塞いでいる。
「なななななんなんでなんでつつ使えなくなななんで? なんで? なんで?」
 “個性”を突然無くされた人間がどうなるかなんて、嫌になるくらいよく知っている。相手が動揺しているうちにはこっそりと、一度だけポケットに手を突っ込んだ。
 ぺっぺっ、と口から噛みちぎった毛を何本も吐き出しながら、正面からヴィランと対峙する。
「あのさあ、」
 一度言葉を区切り、思いっきり息を吸い込んだ。
 そして、叫ぶ。
「写真屋のおっちゃんも八百屋のおばちゃんも肉屋のご夫婦さんも魚屋のおじさんもおれん家のかーさんもねーちゃんも!! みんな、みいんな!! せーーーーーいっぱい働いてんの!! わかる!? わっかんねーーかな!? わかって!!!」
 相手は火事場泥棒をするような人間で、「くそっ、なんで、なんで、なんで、なんでだよ……」今もなおブツブツと呟きながら、頭を掻き毟っている、わかってくれるわけがない。それでも叫ばずにはいられなかった。
 店や道は、またいつ壊されるかもわからない。けれど、今日見た商店街の皆は、誰も彼も笑っていた、笑わせようとしていた。
 また明日、明後日、明々後日、変わらない日々を営むために。
 目の前のヴィランがしようとしていることは、それらを踏みにじる、最低で最低な行為だった。
(だから、おれが“踏んで”も、わるく思うなよ)
 ――の“個性”には、範囲がある。対象が遠ければ遠いほど効果は薄く、完全には無効化出来なくなる。相手に触れていることが一番手っ取り早く、確実だった。
「お前の“個性”のせいだよな? そうだよな? なあ? 返せよ、返してくれよ“個性”、なあ?」
「ヤーーダよまたぐるぐる巻きにするんでしょ」
 ヴィランの髪の毛はあまりにも長く、爪先で、踏めてしまえた。
 まさか思いもしないだろう。自分の髪を伝って、“個性”を封じられているなんて。
 じわじわと近寄ってくるヴィランに、も負けじと遠ざかる。一定距離を取りつつ、“個性”を使えない状態にしていれば、手も足も髪も出せないはずだ。
「返してほしかったら自首しよ? ねっ?」
「…………」
 会話は時間稼ぎだった。もう暫くもすれば、誰かが駆けつけてくれる――!
 緊急ヴィラン通報。
 昨今の携帯電話にはほとんど備わっている機能。
 即時に現在地点と、悪戯防止の為に登録した自分の個人情報が送信される。
 機種によってやり方は様々だったが、の携帯では電源ボタンを5回以上連打すること。
 “個性”を発動させてすぐ、は緊急ヴィラン通報を行っていた。
「そろそろ誰か来る頃だろうしさあ(誰でもいいから早く来てくれ……!!)」
「…………」
 本当は。相手が動揺している隙に、無理やりにでも逃げた方が、よかった。入口は塞がれていたけれど、おそらく掻い潜ることだって出来ただろう。
 だがは優先してしまった。
 逃がしたくない。
 このヴィランを、誰かに――ヒーローに制してほしいと。
「ぎゃっ?!」
 突如として視界が真っ白になった。暗順応したの目に強烈すぎるそれが、救援の光であるはずがない。反射的に瞑ってしまった目を手で庇うと、
「きひひ。――お前、酷い顔してるなァ」
 え?
 首を傾げる時間はになかった。眩んだ世界、湿った笑い声、それから、
「返せ!!」
 肩と背中に走る衝撃。
「いっっってぇ……!!」
 からららら。妙に軽い音が聞こえた。それが何か、にはすぐ思い当たる。
(……懐中電灯!)
 いつの間に、床に転がっていたはずなのに!
 隙を突かれたのはの方だった。
 肩を強く突き飛ばされ、膝は呆気なく折れ、背中は瓦礫だらけの床に倒れ込んだ。
 呻き声が吐き出されたの喉に、“両腕”が伸びる。ぐっ、と十本の指に力が込められていく。
「げほっ、こっの……!!」
 手を外そうともがくの首を絞めながら、
「この脂汗、お前、“個性”の使い過ぎだろ? そうだろ?」
「?!」
 ヴィランが、楽しげに囁いた。
 確かに背中はずっと燃えるように熱い、開いてしまった傷のせい、そうであるはずだった。
 そういや――おれ、こんなに長く、“個性”使ったこと、あったっけ。
 ぐらり、脳みそが揺さぶられる。風邪を引いて高熱が出た感覚と似ていた。
 初めて知った。自覚させられた。己の“個性”のデメリットを――よりにもよって、ヴィランなんかに。
 ざわざわと、あちこちから少しずつ髪の毛が蠢きだす気配がした。
 指に、手のひらに、力が入らなくなっていく。
 同時に、の“個性”も、その力を弱めていく。
 頬を、ちくちくと刺す髪があった。長すぎて踏めるくらいだったのに、顔にあたる短さになっている箇所がある。朦朧とする意識の中、自分が噛みちぎった部分だと気付いた。
 よくよく考えれば、すぐにわかることだった。
 長さを自由自在に出来るなら、普段から伸ばしておく必要はない。
(……きっと……イッショーケンメー……伸ばしたんだろなあ……)
 メリットもデメリットもひっくるめて、一生付き合っていかざるを得ない。
 人格形成に多大なる影響を与え、人生の根幹を決め付けかねない。
 それが、“個性”。
「……あ、のさあ。げほっ……」
 苦しい。救けて。死ぬ。頭に駆け巡る様々は、しかし口から出ることはなかった。
 こんな時に。
 どうしてだか思い浮かんだのは。
「アンタの“個性”、もっと……もっとさあ、他に……使いどこ、あんじゃ、ないの……」
 ――“無個性”の、モジャモジャ頭。

 “個性”が無いお前が、あんなにヒーローだったのに。
 “個性”の有るこいつは、どうして、こんな風に。

「うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
 ずずず……、ずずず……!
 の視界の隅で、毛束はとぐろを巻き始め、喜ぶように身をよじらせる。
「いいね、やっと返ってきたんだねェ、きひひ」
 ほとんど動かせない体を、髪の毛が拘束していく。
 いよいよ“個性”の灯火が、ふつりと掻き消えようとしていた。
「じゃあ死ね」
「させるかよ」
 ――しゅるる、ばさり。
 次いで、ブチブチブチッと嫌な音。
「がはっ、うえぇ……」
 急に、息が吸えるようになった。
 轟音が闇に響く。何故? 恐らく、ヴィランのせいだ。瓦礫の山にでも突っ込んだんだろう。馬乗りになっていたはずのヴィランが、猛烈な勢いで吹っ飛ばされていった。
 何故?
「おい、生きてるか」
 ――ヒーローが、救けに来てくれた。
 転がった懐中電灯と、今まで隠れていた月が照らし出す。
 うわめっちゃ黒。
 最初の感想は、そんなこと。
 背の高い男だった。上から下まで黒い服に、黄色いゴーグルだけが目立つ。故に表情は読めない。無精髭と、無造作に肩まで伸びた髪が、くたびれた印象を与えていた。
 すっかり意識を失っているヴィラン――いつの間にかショートカットになっている――を引きずり出し、ヒーローは手際良く縛り上げていく。
 “それ”がヴィランの髪を引きちぎり、ぶん投げるように瓦礫に飛ばしたのだろうか? が見ている前で、ヒーローが身に着けているマフラー状の何かが、しゅるんと首に戻っていった。
 心臓が早鐘のように鳴っている。最悪の状況は脱した。
 けれど喉が渇く、気持ちが急く、体さえ、震える。
 ヴィランが吹き飛ぶ前だったはずだ。
 “拘束が外された”のは。
「プロヒーローだ。捕縛は完了した、警察はもう間もなく到着する。介助が必要なければ俺は行くぞ。じゃあな」
 簡潔過ぎる言葉だけ残し、既に歩き出す背中に、は呆然と呟く。
「“個性”を……無くした?」
「……いいや、消した」
 ふっ、と。声に、少しだけ笑いが混じった、気がした。
 どくり。心臓がまた跳ねた。
 知っている。
 入者の“個性”を、目の前のヒーローが知っている。
 それもそのはず、当然のことだった。緊急通報の一括通知は、最寄りの消防署と――近隣のヒーローへ、送信されている。が登録した個人情報には、“個性”を載せていた。
 けれどにとっては、“当たり前”じゃない。

 あるか? ないだろ。 あるわけがない。
 救けに来てくれたプロヒーローが、おれと――おれと、同じ“個性”なんてこと!!

「――あの!」
 一度だけ咳き込んで、あちこち痛んで仕方ない体を無理やりに動かした。一歩二歩三歩、わずかな距離さえもどかしい、急いで駆けた足はもつれて「ぐえっ」ぶつかってしまう、掴んでしまう、縋り付いて、しまう。
 ヒーローは、しがみ付いてくるを、ただ静かに見下ろした。
 パトカーのサイレンがごく近い。言った通りに警察は到着し、一気に辺りは忙しなくなる。「ヴィラン確保!」「君、怪我は!?」全ての音が、ただ通り過ぎていく。
「救けてくれて、ありがとうございました!! あの……その……えっと……」
 いつからヒーローを、どうしてヒーローに、
 きっかけは?
 はくはくと呼吸をする金魚や鯉のように、言葉が上手く出てこない。
 でも言わなくちゃ、聞かなくちゃ、ここを逃したらもう――“次”は、絶対にない!
「しっ進路相談にっ!? 乗ってもらえませんかっ?!」
 ――何言ってんだおれえ!!!!
 さっきから汗だくだっただったが、さらにどっと冷や汗が出た。
(えっおれ今なんてった?! えっ!? おれ今なんて言ったあ!?)
 ぐるぐると混乱するをよそに、ヒーローはぐいっとゴーグルを外した。初めて、目が合う。やや血走った渇いた目に、はごくりと息を飲み込んだ。
 ふーー、と長いため息が一つ、落とされる。
「四百字以内にまとめろ」
「乗ってくれるんだ?!(乗ってくれるんだ?!)」
 驚きのあまりに声に出ていたの絶叫が、商店街に響いた。