磨いて掴め

10


「ンンンン……ンン~~~?」
「煩いよ
「イデッ」
 ばすんと丸めた夕刊で殴ってきたのは母の入江だ。呻いてたが悪いのは事実なので反論はしないが、
(客に出す前の夕刊丸めるのはどーなの?)
 ……結局黙っていた。受付に広げて必死に皺を伸ばすが、あんまり意味はなさそうだ。
 院内には珍しく客はおらず、母と二人きりだ。今日は本当ならサッカー部に顔を出す予定だったが、朝のうちに「まっすぐ帰って来い」とのお達しがあった。
 以前出された「必要最低限の外出禁止」は、実は今も続いている。姉の汀和も随分心配していたので、走り込みやトレーニングは、必ず大人の目が届く場所で行うことになっていた。その点、商店街と学校は十分条件を満たしている。
 朝練、休み時間、昼休み、放課後。
 は毎日せっせと体と“個性”を鍛えている最中だ。
 時間が惜しい。
 それでも素直に帰って来たのは、何も母親が怖いからじゃない。
 が学校で行っている――ボランティアマッサージ兼トレーニング兼“個性”強化訓練――は、母にきちんと報告しているし、応援も、してくれている。……“個性”を使ったゲームに関しては、あまりいい顔はされなかったが。
 “やるからには全力でやんな”。
 ヒーローになりたいと告げた日、あっさりと頷いて笑ってくれた。
 そんな母が、ただ店番を任す為だけに「帰って来い」?
(言わないよなあ)
 だからは言われた通り、寄り道もせず帰宅したのだった。そもそも実家が商店街にあるので、普段から寄り道はまずしない。コンビニで買うより、オマケしてもらえる商店街の方がはるかにお買い得なのだし。
 まだ母の真意は読めない。ちら、と横目で見ても、やや皺くちゃになった夕刊に目を通しているだけだ。
(たまには身体ゆっくり休めろーとか……?? やーー、それだったらとっくにゲンコツで止められてっか)
 既に一回、オーバーワークをゲンコツで止められていた。以降きちんと休息日を設けて、休む日はとことん休むようにしている。
 母はいつでも単刀直入、回りくどい真似をするタイプでもないので、
(まあそのうちなんかあんだろーけどね)
 は普通に待つことにした。受付に広げた参考書とノートに意識を戻す。先程の呻きの元凶である。
 なんてったって時間が惜しい。
 が毎日の日課に仕立て上げた、ボランティアマッサージ兼トレーニング兼“個性”強化訓練――、
 プラス、受験勉強。
 国立雄英高等学校。オールマイトを筆頭に、数多くのヒーローを排出している『ヒーロー科』を有する、名門中の名門。
 学力偏差値79!
 入試倍率300倍!!
 呻き声の一つや二つ上げたくなるというものだ。
「ンン~~~……」
「煩いっての」
「ハァイ……いやでも……許して……」
「……お茶でも飲んで一息つきな」
「アリガトーゴザイマスイタミイリマス……」
 見かねた母がお茶を作りに離席する。は座ったまま、両腕を天井に向かってぐぐぐうっと伸ばした。体と“個性”、それから頭も鍛えなければならないのが、ヒーロー科受験生の辛いところだ。
 これまでのにとって、成績は良すぎても悪すぎても困るものだった。同じ理由で運動も、出来すぎても出来な過ぎてもダメ。「仲介係」として呼び出されるようになった頃から――“個性”を褒められる頻度が増えた頃から、それ以上悪目立ちしないよう苦心した。
 せめて、居ても居なくても変わらない「普通」を保っていたかった。クラスの「輪」に入る後ろめたさもあったかもしれない。だって緑谷はいつまで経っても一人だった。
 クラスメイトとの付き合いは必要最低限、元々寄り道もしないし、店番を理由に部活にも入っておらず、授業態度も真面目なである。それでもの成績は、常に中の中程度。
(…………ここにきてさーー、ありとあらゆるツケを払いすぎでしょ、おれ)
 全力を出す。
 いつからだろう、それをやめてしまったのは。
 もちろん、自分の全力なんてたかが知れている。だからこそ、底上げをしなければならない。追いつかなければいけない。
 ――最近、あまり胃が痛まない。皆自分の受験に忙しく、“無個性”を揶揄う声はなくなったし、やっぱり爆豪は大人しい。
 だからなのか、今までよりずっと静かに、モジャモジャ頭が視界に入ってくる。
 見る度に“そう”だ。
 明らかに疲労の溜まった顔で、フラフラになりながらもしっかりノートを取っている。
 授業中、休み時間、昼休み、少しの時間も惜しむかのように、体を鍛えながら勉強をしている。放課後は誰よりも早く教室から出て行く。あの様子じゃ何かしら朝練もやっているかもしれない。
 毎日キツイ、しんどい、辛いけれど。
 朝昼晩、緑谷も同じく頑張っていると思うと、の心は励まされた。
 “イズ”はきっと、昔も、今も。
 全力で、夢に向かっている。
「……がーんばろ」
 気合いを入れ直して取り掛かると、母がお茶を持って戻ってくる。
 それと、同時だった。
 ――ちりんちりん。
「ハイこんにちはー、当院の診察券はお持ちでしょうか? お預かりしまーー…………」
 扉についたベルが来客を知らせると共に、の口からすらすらと常套句が飛び出して――止まった。
「やっと来なすった、お待ちしてましたよ“先生”」
「……どうも」
 母に“先生”と呼ばれた男は、靴を脱いでスリッパに履き替え、受付にのそりとやってくる。
「ナンデェ……???」
 見間違うはずがない。
 猫背気味の長身、少し血走った乾いた目、長めの髪に無精髭。
 先日を救けてくれた髭面ヒーローその人だった。
「何ぼけっとしてんだい、改めてお礼の一つも言えない子に育てた覚えはないよ」
「アッ!? この前は救けてもらった上に話まで聴いてくれてほんっっっっとにアリガトーゴザイマスあとリアカー引かせちゃってほんっっっっっっっっっっっとーーーにゴメンナサイでした!!!」
 猛烈な勢いで立ち上がって礼をすると、座っていた椅子が後ろに吹っ飛んでいった。ガタンガシャーン。そこそこ大きな音が響いたが、
「じゃあこちらへ。どうせなら施術も受けてってくださいよ」
「いえ、お構いなく。すぐ帰るんで」
 大人二人はスタスタ奥に進んでいく。
「いやもうちょっと構ってェ!?!?」
 全スルーされたが絶叫した。


 ――時間にすれば、ひと月前。
 が髪の毛ヴィランに襲われて、家までリアカーによる送迎が行われてしまった直後のこと。
「つれないことを言いなさんな、イレイザー・ヘッドさん」
 ヒーロー名を呼ばれた。
 足を止める理由は、それだけで十分だった。
 ……ヒーローは活躍に応じ、国からは収入を、人々からは名声を与えられる。我よ我よと声と拳を張り上げ振り上げ知名度を上げ、トップヒーローへ上り詰めていく。
 相澤消太にとっては、必要のないプロセスだった。たとえば度の過ぎた野次馬やマスコミが現場に介入し、二次災害に繋がるケースは後を絶たない。他にも理由を挙げれば切りがないが、世間に認知されればされる程、仕事に支障が出ると相澤は考えていた。今日に至るまでとことんメディアへの露出を避け、仕事に差し支えない環境を保っている。
 その為、一般人にはヒーロー名どころか、顔だって知られていないはずだ。ヒーロー関係者か、よっぽどのマニアか、それとも。
 相澤の警戒を知ってか、なおも白衣の女性がにんまりと笑う。
「先程は、息子を救けて頂いたようで。本当にありがとうございました」
「……あぁ。親御さんでしたか」
「ええ、だからそう構えなさんな。子供と似た“個性”のヒーローを、調べない母親はいやしませんよ」
 なるほど、筋は通る。
 自分の子供がヒーローになれるか、なれないか。似通った“個性”を持ち、既に活躍しているヒーローは模範であり、反面教師であり、指針だった。
「でしたら、ご要件はお礼だけではないでしょう。弟子入りやサイドキックの件でしたらお断りしてます」
「いいえ、いいえ。違いますよ」
 相澤の断りを笑い飛ばしながら、眼には何か、ぎらりと強い光を宿している。
 ……『抹消ヒーロー』にたどり着くまで、随分と苦労したに違いなかった。何せ、世間には顔だって知られていないヒーローだ。“息子”が理由なら、ヒーロー関係者の可能性は低い。ましてやヒーローマニアという訳でもないだろう。
 相当な根気と、執念が窺えた。
(母親のなせる業、か)
 やっとの思いで調べ上げたヒーローが、目の前に。
 彼女にとって今が、千載一遇のチャンスだと、相澤にもわかった。
「どうか、一つの縁だと思って、お願いしたいことがございます」
 深々と頭を垂れられて――相澤は、ふーーと大きくため息をついた。
 先程のヴィラン捕縛は迅速に行えたが、“人生相談”はそうもいかなかった。どうもこの親子は、相澤の時間を使いたがるらしい。いたずらに時間を消費するのは、本意ではなかった。
 だから、自ずと答えが出る。
「……ご要件は」
 断る方が骨が折れると、相澤は悟った。
 ややして、やっぱりにんまりと笑った顔が、こちらを向く。
「アタシの息子の“個性”を、消してもらえませんか」