磨いて掴め
12
イレイザー・ヘッドこと相澤は、真摯に頭を下げられた日を思い出していた。
息子の“個性”を消して欲しい――直接“視て”欲しいと、懇願された日。
「“個性”の比較、ですか」
「ええ。『抹消』の“個性”を持つイレイザー・ヘッドさんならば、と思いまして」
やっと合点がいく。そもそも『抹消』や『無効化』など、他人の“個性”に干渉する力自体、珍しい。
つまり、比較出来るほど類似した“個性”を持つ者が、周囲にはいないのだ。同じ遺伝子を持つ家族にさえも。
だからこそ彼女は、名も顔も知れていないヒーローをここまで調べ上げていたのだろう。息子と“個性”が似ているという理由だけで。
藁にもすがる思いで、いつか機会を得た時のために。
そしてそれが、たまたま、今夜だったのだ。
「……不躾な質問で恐れ入りますが、あなたやご家族の“個性”は?」
「いえ、もちろん構いませんよ。アタシは手のひらで温めたり冷やしたり……細かく言えば人に熱を与える・逆に熱を取る“個性”です。上の娘は新陳代謝を活性化させて、患部を治癒させる“個性”。それと、旦那は、人の傷を預かれました」
「人の傷を?」
「人の傷を」
稀有だったが故に、覚えていた。そうはいない“個性”だ。だから恐らく、彼女の夫で間違いないはずだった。もう十年近く前になるが、相澤の記憶に残っている。
いつかの大事故で負傷者の傷を――同時に痛みも――自分の許容範囲以上に預かり、“預かったまま”、亡くなったという彼の人。
当時のニュースを思い出して辟易する。
世間は彼の行いを、ひたすら「美談」として囃し立てた。遺族の想いや哀しみは、計り知れないというのに。
目の前に立つ今の彼女は、「そりゃあもう、酷いお人好しのイイ男でねぇ」と屈託なく笑った。
「人より体が丈夫で治るのが異様に早くって、ほとんどすっかり治してから返す、なんて昔はやってましたよ。娘の“個性”は、旦那の体質とアタシの温冷がイイ感じに合わさったものだと考えりゃ、納得はいくでしょう?」
「息子さんの“無効化”は、納得がいかないと」
人の傷と痛みを受け取り、預かれる父親の“個性”。
人に熱を与え、逆に熱を取り除くことも出来る母親の“個性”。
人へ力を与え、新陳代謝を高めて、傷を癒す娘の“個性”。
そして、人の“個性”を無効化する、息子の“個性”。
「はい。そりゃ突然変異の可能性だってある。でもね、アタシの勘だとそうじゃない。似て非なるもんだと踏んでるんですが、なんせ判断材料がない」
苦しそうに吐き出すと、母親は息子のために頭を下げた。
「お願いします。あの子がやっと、自分の夢に気付いたんだ。“個性”のせいで、なんでも飲み込みがちだったあの子が。これまで、自分の“個性”だって、まともに向き合おうとしてこなかったあの子が。だから、アタシはやれることは何だってしてやりたいんだ」
――どうか頼みます、“先生”。
「……さんには、“個性”の比較を頼まれていた。“個性”を使ったのがお前さんだけじゃなく、俺もさんに使ったのはそういうことだ」
あの日救けた少年は、目の前で硬直して言葉を失っている。
無理もない話だ。“個性”を持つ人間にとって、どうしたって“個性”の存在は、大きい。大き過ぎる。歩む道を左右する程に。
「どっちの“個性”も使われてわかったさね。イレイザー・ヘッドさんには完全に“個性”を消されてる、使えなくされてる感覚があった。出したくても出せない、みたいなね」
相澤の“個性”である抹消は、何も“個性”そのものを消してしまうものではない。あくまでも“個性因子”の働きを、一時停止するだけ。似た“個性”であるならば、仕組みも似ているはずだった。
だが、彼の“個性”は、恐らく違う。
“個性”を発動中、相手の“個性”の種類によって、何か流れ込んでくる感覚があるとは言った。それによって、相手の“個性”がわかるかもしれない、と。
水なら冷たい。
火なら熱い。
「でも、アンタのは……“個性”が、自分の中から“無くなってた”。空っぽになっちまうような感覚さ」
無くなった“個性”の行き先は、どこか?
「その“個性”は、一時的にだが――相手の“個性”を、自分に移動させている可能性がある」
おとーさんの“個性”はな、と一緒だよ。“無くせる”んだ。
ああああぁ泣くな泣くな、だいじょぶだいじょぶ! オレはもう痛くないから、なっ?
ともだちの“個性”、無くしちゃったかー。もびっくりしたな。少しずつ、使えるようになっていこう。だいじょうぶ!
でも、そうだな。無くしてるんじゃなくってさ。お前はオレの子だから、
もしかしたら、
預かってるだけかもしれないね。
「人の“個性”を、預かる“個性”……?」
亡くなってしまった父のことは、残念ながら、ほとんど覚えていなかったはずなのに。
ふっと耳に、父の声が、よみがえった気がした。
人の傷を、預かる“個性”だったと聞いている。
稀少な“個性”だからこそ、特許を取得し、色んな患者さんの傷や痛みを一時的に預かり、和らげ、癒していたという。
人の傷を預かって、預かりすぎて、死んでしまった。色んな手違いが重なってしまい、救助が遅れに遅れ、ほんとうに酷い事故だったらしい。
巻き込まれた父は、目の前で傷付く人を、放っておけなかったそうだ。
「ああ、やっぱり、そうだったのかい。そうだったのかい……」
それは、ほとんど独り言だった。張り詰めた風船が少しずつしぼむかのように――いつも気丈な母から、力が抜けていく。
はその様子に、ガン、と頭をぶん殴られた。痛くて、苦しくて、ショックだった。
自分の“個性”は突然変異で、家族にも似た“個性”はない。たったさっきまで、そう思っていた。
母は、そうとは思っていなかったのか?
いつから?
ずっと?
どうして自分に言わなかったのか?
――ごめん、かーさん、ごめん、ごめんなあ。ごめんなさい。
心の中だけで、は謝る。口に出すべきではないとわかっていた。謝ってしまったら、母の心を蔑ろにしてしまう。
だって、“個性”について、ほとんど全部、母にも姉にも言わなかった。からかわれた日も、無視された日も、気持ち悪がられた日も。バレないようにこっそり泣いて、次の日目が腫れないように試行錯誤したこともあった。心配をかけたくなかった。こんな自分を知られたくなかった。
そうして何も言わずに落ち込んでいるを、母は、何も言わずに赦してくれた。
おつかいと称して商店街に送り込んでくれたり、問答無用でマッサージを教え込まされたり、気持ちが後ろ向きにならないように、いつもいつも、見守られていた――、
甘えていた。
きっと随分前から、自分の“個性”に疑念を抱いていたはずだ。
一度だけ深く息を吐き出して、頭を下げる。
「かーさん。……おれのこと、ずっと心配してくれて、ありがとう」
……おれが言わないから、かーさんも、言えなかったんだ。
自分が飲み込んだ気持ちだけ、母も飲み込んでくれていたことに、は初めて気が付いた。
母は、すっかりいつもの調子に戻ってからりと笑った。
「なあに言ってんだい、アタシがアンタを心配するなんざ、それこそ“当たり前”さね。……でも、どういたしまして」
泣くまいと思っていたのに。今度こそ堪えきれず、は片手で両目を覆う。溢れた涙が思いの外熱かった。
覆う前、視界の隅で、母も目元を拭っていた。
「大丈夫か」
「はい」
イレイザーヘッドの声かけに、泣き止んだはしっかりと頷いた。高い身長に伸びた髪、少し乾いた目と無精髭。ちょっと胡散臭いと(失礼ながら)感じてしまう見た目に反して、彼は、思った以上にずっと優しい。でなければ、今日だって来てくれなかっただろう。今も、静かに待ってくれていた。
「おれが、相手の“個性”を一時的に預かってる……、その可能性は高いと、おれも思います」
「根拠を言ってみろ」
あえて言語化させようとしているのだろう、にも意図が理解出来た。
前まで――ヒーローを目指す以前――は、とくに気にも留めていなかった。
「なーんか“個性”使うと熱くなったり冷たくなったりすんだよなあ」
……それぐらい、過去のは無頓着だったのだ。
自分の“個性”を、明確にし、噛み砕き、掌握する。
理解し、正しく使用するために、必要なこと。
「原理は不明だけど、無効化してる時に相手の“個性”がなんとなくわかるのは、“個性”使用の副次的効果だと思ってました。でも逆だったとしたら、そっちの方が合理的……な気がする」
「ほう?」
今日まで様々な“個性”に触れる機会があった。炎や水を生み出す“個性”なら、接している手のひらから、熱さや冷たさが伝わってくる。風や岩を纏う“個性”なら、ぐるぐると暴れ回ったり、ごつごつと硬い何かが体の中を通っていく感覚。首や指を伸ばしたり、変化させる“個性”なら、そこの体の一部が痒くなったりした。(実のところ痒さに耐えるのが一番大変だった)
髪の毛敵に襲われていた時も、頭皮や髪がざわついていたように思う。
「おれが無効化する、何故かついでに相手の“個性”の特性がわかる、じゃなくて。おれが“個性”を預かってるから、相手の“個性”の特性がわかるし、相手も“個性”が使えない。副次的効果なのは、無効化だと考えた方が、より自然じゃないすか」
の推測は、大きく間違っていないはずだ。実際に言葉にしてイレイザー・ヘッドに頷いてもらうと、内側から確信が湧いてくる。
「俺が『抹消』を使っている途中、“個性”を発動させてみろと指示をしたが……あの時首を傾げてたのは、感覚が流れ込んできたからだな」
「そ、そうです。今まで感じたことなかったタイプのアレだったんで……ってアレ? おれ、“個性”消されてたのに……アレェ?」
「つまり、俺に“個性”を消されている中、“個性”を使えた」
「へ?」
「俺が“視る”より、お前の“触れる”が優先されたってことだ」
「ホァ……」
「……、なに変な声出してんだい」
もちろん抹消を完全に無効化――もとい、預かることは出来なかったが、イレイザーヘッドが言うには、力が少しだけ弱まるような感触があったらしい。
呆けた声を出してしまっただったが、すぐ興奮して矢継ぎ早にまくし立てる。
「じゃ、じゃあ、発動中の“個性”に対して使えば、完全に無効化出来なくても、弱体化出来たり……!? 使い方にふり幅が増える! うわー!!」
「ふり幅、ね」
不意にイレイザーヘッドがにい、不敵な笑みを浮かべた。
「折角だ、その一歩先を行こう」
「ホァ?」
一歩も何も、もう既に三段飛ばしで階段を駆け上っている気持ちだったはポカンとした。“個性”が、『無効化』ではなかった。恐らくこれは事実だ。気付くには遅すぎたかもしれないが、受験前にたどり着けたのは幸いに違いない。
何故ならば。“個性”の本質、実用性、運用方法、超過による身体的負担、己の身体能力、その他全てを加味した上で、
ヒーローを目指すのだから。
「さん、もう一度よろしいですか」
「ええ、もちろんですとも。ほら」
「へ? うん、ハイ」
指示は、最初に出されたものと同じ。
隣に座っている母の手首(手は恥ずかしかったので)を掴んで、“個性”を発動させた。
「預かる“個性”、と仮定して。まずはさん、今ご自身の“個性”は?」
「さっきと一緒さね。完全に無くなってる感じですよ」
「の感覚はどうだ」
「あります。もやもやーっと流れ込んでくるアレ」
「アタシのアレはどんな感じなんだい?」
「えっ!? ……あ、あったかい感じ……?」
「ふうん」
(ナニコレ気恥ずかしっっ!!)
ニヤニヤされたのではぐうと押し黙る。身内同士のやり取りをまたヒーローに見せてしまった。しかしそんな中でも“個性”を使い続けていられるのは、これまでの特訓の賜物……と、無理やり自分を励ました。
「意識して、集中しろ。無くしているんじゃなく、今お前は、お母さんの“個性”を預かってると考えるんだ」
「おれが、かーさんの“個性”を……」
目を閉じて、神経を研ぎ澄ます。
無くすのではなく、
預かる。
――とーさんと、同じ。
(そうだ、傷だらけの背中)
唯一はっきり思い出せる、父の記憶。おびただしい傷があんまりにも痛そうで、泣いてしまったまで覚えている。だが人間、そんなに背中ばかり怪我はしない。
母が「酷いお人好しのイイ男」とよく惚気る父のことだ。もしかすると、預かった傷は、任意の場所に移せたんじゃないだろうか。体で一番広い箇所かつ、服を着ていれば目立たない。傷を負っていた人の、目の届かないところに。
(じゃあきっと、おれも出来る)
根拠はなかったのに、不思議とそう信じられた。
掴んだ手首から流れ込んできたソレは、手のひらから腕を通り、ゆっくりと中心に集まっていく。細く細く、糸のようだったが、やがて胸の辺りで一つの塊になる。
ちょうど、心臓の位置。
母のあたたかい力が、まあるく、そこに在った。
「……! イレイザー、手を!」
対面に座るヒーローは、すぐさま差し伸ばしてくれた。皮膚の厚い、大人の男の手だ。これまで何度も人を救けてきた手。
恐る恐る、母の手首を放す。
“まだ在る”。けれどすぐ揺らぐ、風に煽られる蝋燭の火のよう。
無くなってしまう前に、は目の前の手を、両手で包んだ。
「、アンタまさか……」
――イレイザーヘッドの手が、急速に熱を持つ。かと思えば、今度は保冷剤を握りしめたように冷たくなった。
熱を与え、熱を取る。
「一歩先」
母から預かった“個性”を使ったに、イレイザーヘッドがそう言った。
「…………っはあ、はあ、だぁーーっ!! つっっっかれた……!!」
手を放してそのまま施術ベッドに倒れ込んだ。全力疾走した並みの疲労感がどっと襲ってきたのだ。息が切れ、額やら背中やら体中から汗が噴き出している。
でも、使えた。
「かーさんの“個性”が、使えた……!」
いつもの見慣れた天井に手を伸ばし、ぐっと拳を突き上げた。
「さん、“個性”は?」
「……あぁ! 戻ってきてるね! ほら!」
「おわっ!? アリガトーネ?!」
寝転がったの額にべちんと母の手が降ってきて、そのまま冷やされた。ひんやりして気持ちいいが、手を握るより恥ずかしい気もして慌てて起き上がる。
不意にイレイザー・ヘッドと目が合った。
「あのおれ、なんて言ったらいいか……! その、とにかく、ありがとうございます!!」
今日だけで何度お礼を伝えただろう。
いくら伝えてもどれだけ言葉を尽くしても足りないくらいだった。
「あー……なんだ、使いどころは難しいかもしれんが、やれることは少なくないはずだ」
「はい!!」
「それと危険な遊びはしないように」
「はいっ!!」
がりがりと頭をかきながら、わざとぶっきらぼうに言っているように聞こえる。
は目の前のイレイザーヘッドに、全幅の信頼を寄せた。
無責任に「頑張れ」と言わないヒーローは、限られた時間の中で、たくさんの選択肢を与えてくれたのだった。
「それではそろそろ、この辺で。不明確なことも多いでしょうから、“個性届”を更新する前に再度診断した方がいいでしょう」
「ええ、はい……! ありがとうございました!!」
「……アッ?! あのイレイザー! イレイザー・ヘッド!! 最後に一つだけ!!」
すたすたと入口に歩き出してしまう背中を引き留める。急いで見送りについていった母も、怪訝そうに振り向いた。
すっかりお開きの雰囲気を壊す気まずさがあれど、はどうしても聞きたかった。
この情報社会なのに調べても出てこない、顔も名前もほとんど知られていないアングラ系ヒーローだ。
きっともう、会えないだろう。
二度とないチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「おれの“個性”、なんて言えばいいんすかね?!」
シィーン。
が叫ぶと、元々静かな院が更に静まり返る。
はぁ? という顔をされたのがわかった。
「……」
「……はぁ? 預かる“個性”だろ?」
思いっきり眉をしかめて母が言う。
そうだけど、そうじゃない!
の“個性届”は現在『無効化』で登録されている。
更新出来るらしいことはさっき知ったが、『“個性”を預かる“個性”』なんて長ったらしい。
「いやだって“個性”『無効化』ってわかりやすかったけど、預かる、ってわかりづらくない!? 『抹消』とかそういう、わかりやすくてかっこいい名称が! おれも!! 欲しい!! そんでもって、あわよくば、イレイザー・ヘッドに命名して欲しい!!」
十四歳の憧れと下心が爆発した瞬間だった。
――イレイザー・ヘッドはスリッパを脱ぎ、靴に履き替え、出入口の扉に手をかけ、扉の上部についてるベルがちりんと鳴る。
「それでは」
「ありがとうございました」
「……アリガトーゴザイマシタ!!」
そして、憧れと下心が不発に終わった瞬間だった。
「ただいまーー!! ねーーちょっと聞いてよーー観たかったドラマのシリーズ他は全部揃ってたのに4だけなかったから1と2と3だけ借りてきたんだけどほんとは全部一気に観たかったーーーーってお、お客様……いらっしゃったんですね……失礼いたしました……」
姉の汀和が勢いよくスタッフオンリーの扉を開け放ち、目の前の施術ベッドに借りてきたドラマが入っているだろう袋を放り投げ、そのまま言いたい放題に喋って喋り続けて家族以外の人間を確認し、すすす……と下がって静かに扉を閉めるまで、10秒ほど。
シイーーーン!
再び静寂が帰ってきた。
が「ねーちゃんがすいません!!」、あるいは母が「娘が失礼しました」と言うよりも早く、
「……じゃあ、“ソレ”で」
イレイザー・ヘッドが、“ソレ”を指差した。
「へ?」
「……ああ、なるほどねぇ! 確かにわかりやすくてイイですね。ったくあの子もこの子も全く……ほら、お礼!」
「へ? え、え? なにが……、あーーっ!?」
人の“個性”を預かり、使う。
こうとも言える。
人の“個性”を、“借りる”。
イレイザーヘッドが指差す先、姉が投げていった袋には――大きく“レンタルショップ”のロゴが入っていた。
「よかったじゃないか、」
「……アリガトーゴザイマス……」
こうしての“個性”の名称が決まった。
わかりやすい。
わかりやすいが、かっこいいとは言い切れず。
「“個性”『レンタル』。わかりやすくて“合理的”だろう」
(ねーーーーちゃんの馬鹿ーーーーー!!!)
最後にイレイザーヘッドは少しだけ、可笑しそうに目を細めた。