わたしのかみさま


「ごめんなさい」
 死のう。
 ぺたり、両手を床につけました。それから、額も。この間エクスにやったように、這いつくばって、悪魔に頭を下げました。
「わたし、どうやって……喚んだ、のか、わからなくて……でも!」
 は言葉と決意をかたくして、悪魔に頭を下げ続けます。
 強くきつく、床に押し当てている額を伝い、涙は前髪と、頭皮と、指先と、床とをびしょびしょに濡らしていきました。
「ぜったいに、還すから」
 死のう、死のう、悪魔を還して、それから死のう。
 色をくれた、音をくれた、言葉をくれた、心を、動かして、くれた。
 これ以上を望むのは、あまりに贅沢だと、は思いました。
 自分がされたことを、この悪魔にしてしまったことが、情けなくて、恥ずかしくて、許せなくて、死んでしまいたくて、是が非でも死ななければなりません。死んで、詫びなければなりません。ろくに寝ず、ろくに食べず、どうなってもいいと思っていたものですから、遅かれ早かれ、それが早まるだけのこと。
 そう考えたら、ふと、また一つ、気づきました。
 目の前が急に開けて、あかるくなって、すべてが軽くなった気さえしました。
(……ああ、わたし、わたし、この悪魔に――すくわれたんだ。)
 理由もわからず、どこともしれず、どうでもいい、どうなったっていい、のろのろと、弱っていくよりも。
 死にたいと思って、死ぬ。
 ――悪魔は、死ぬきっかけもくれたのです。

 気色悪ィと、何度思えば済むのでしょう。
 死の匂いがしました。元より痩せっぽっちのみすぼらしいニンゲンでしたが、すぐさま息絶える程ではありません。それなのに死の匂いがします。だから、ニンゲンが死のうと思っていることが、悪魔にはわかります。
 ニンゲンとはこんなにも、得体が知れないイキモノだったでしょうか?
 力で喚び、力を縛り、力を奪い、力で縛り、力で奪う。思い出すだけで、今は空っぽの“額”が燃えるように疼きます。ただただ胸糞の悪いだけのイキモノだということを、悪魔はよくよく知っていたはずでした。
 けれど目の前のメスのニンゲンが、悪魔には、
(……なんなんだよこのニンゲン……??)
 ――もう何がなんだか、わからないのです。
 急に早口でまくし立ててきたと思えば、みっともなく泣き出して、やっぱり床に這い蹲る、間の、「感情」の流れ。その移ろい変わる早さ、目まぐるしさと言ったら。濁流に飲み込まれ、二度と水面には出て来れず、あっという間に滝壺へ沈み込む、木屑や枯れ葉のようでした。このメスのニンゲンは、深く深く、もう二度とは浮かびあがることも出来ないところにいました。悪魔である彼には、それが知れるのです。
 それなのに。
 ニンゲンは、前を向く。
 ぐちゃぐちゃな顔を上げて、涙で滴る瞳で、悪魔を真っ直ぐに見つめていました。
 死のうと思っているニンゲンの「感情」は。
 自分に向けられている「感情」は。
 悪魔である彼には――知らないもの。
「ぜったいに、還すから」
 ニンゲンとはこんなにも、得体が知れないイキモノだったでしょうか。
 うわ言のように、繰り返されました。
 ニンゲンが死のうと思っていることはわかっているので、つまり、ニンゲンは、自分を還して、死ぬつもりなのでしょう。死ぬつもりでいるくせに、「負の感情」は、これっぽっちも感じません。しかし、「正の感情」とも言いがたい。だって、死ぬ決意をしているのです。聞いたことも、感じたこともない「感情」を前にして、悪魔は正直、戸惑いすら覚えていました。
「ゼッタイに還す、か……」
 こんな小さな部屋に喚びつけられる、前。
 思い出すだけで、今は空っぽの“額”が燃えるように疼きます。
 彼は既に、この狭い世界に喚ばれていました。
 そして、
 血を抜かれ、肉を削がれ、腹を裂かれ、頭を割られ。 目を、抉られ。
 屈辱の限りを尽くされていました。
「還すって、何処にだよ。元の“主人”のところってかァ?」
「――え、」
「冗談じゃねェぜ。んな余計なことするつもりなら、お望み通りにテメェのことなんざぶっ殺してやらァ」
 死にたいニンゲンを殺してやろうなんて、悪魔らしからぬ申し出でした。もちろん悪魔はやさしくありません。
 ですが、得体の知れない「感情」を向けてくる、得体の知れないニンゲンは、
「テメェ、死にてえんだろ? じゃあ俺が殺してやってもいいぜェ、感謝しろよな! ヒャハハハハ!!」
 自分をこの世界に連れて来たニンゲンよりは、幾分かマシに思えたので。
 悪魔の高笑いが、小さな部屋に響き渡りました。

 ――ころしてくれる。
 悪魔が、わたしのこと、ころしてくれる。うれしい。
 どこにかえすって。
 どこって、もちろん、かえるところ。
 もとのせかい。
 もとの。
 もとの、しゅじん。
 もとのしゅじん?
 ええっと、えっと、えっと、
 いるってこと?
 悪魔を、よんだ、ひとが。 
 へんてこで、くるっていて、どうかんがえてもおかしいちからで。
 悪魔を、よんだひとが、いる。
 さいしょに悪魔は、なんていってたっけ。

『……ころ、して、やる……!』

 じゃあ、あれは。
 わたしに、じゃなくて。
 じゃあ、じゃあ、じゃあ、じゃあ、じゃあ、あの、悪魔の、
 血は、傷、は。
 
「……も、との。しゅじん」
「あァ?」
「もとの、しゅじんに、されたの」