Who's calling me?


 ねえ、どうしてこんなに、よくしてくれるの?
 そんなことを気にしていたのかい?
 だってわたし、危険物だったんでしょ、
 そうだね、いつどうなったものか、わからなかったよ、
 じゃあ、なんで?
 義務だからさ、
 義務?
 そうさ、
 そっかあ、
 そうさ。

 きこえてくる会話はいつだって不快だった。よくもまあ飽きもせず、うすら寒い言葉と感情を交わせるもんだと呆れてしまう。最近、悪魔は舌打ちすらも落とさない。いちいち反応するだけ馬鹿らしい。頭のイカレたニンゲンは、悪魔の舌打ちやため息ですら喜ぶのだから。
 義務。
 呪いのかかったガキは、前にもそう言っていた。
 ――仲良くしようよ、あの子を殺し損なった者同士。そう歌うように告げて、カップに紅茶を注いだ。二人分。茶会のつもりが煩わしい。
「あの子には、あの子が呪う世界を、力を、隅々まで学んでもらうんだ」
 対面の椅子はもちろん空席で、悪魔の石は湯気を立てるカップの前で沈黙を貫いた。
「きみは、あの子と誓約しているだけでいい。きみの存在が、とても大きなものになっているようだから、当分問題はないだろう。もし、あの子の肉が歪む時があれば、呼びかけてやってくれ」
 冗談じゃない。面倒を見てやる義理はない。ただ、決めただけだ。悪魔の第三の目を抉った召喚師を殺すと、気の狂ったニンゲンが、命を賭けたから。召喚師を殺し、そうしていつか、ニンゲンを殺してやると決めただけだ。
「彼女を喚んだのはボクじゃない。でも、あの子をこの世界に縛ってしまったのは、紛れもなく、ボクなんだ。だからボクは、出来うる限りの事を、コトコにしたいと思う」
『……悪魔に懺悔か?』
 嘲り笑ってやれば、忌々しいガキは意にも介さず紅茶をすする。
「これは義務さ。殺し損ねて生かしてしまった彼女への」


 やわらかい布で、は紫の石を磨く。日課というか、趣味というか、儀式というか。そうしていると、なんだか安心できたから。
 派閥の自室は、軟禁されていた部屋に比べて小ぢんまりとしていたけれど、かえって落ち着いた。
 壁の真ん中に背の高い窓、左隅に机と椅子、右側には本棚。手前に簡素なベッドと、サイドテーブルが一つ。
 お茶でも淹れようか、と椅子から立ち上がり、迷う。共有の給湯室のような場所で、誰かしらと鉢合わせになると面倒なのだ。お茶会に誘われても困る。結局サイドテーブルから水差しを取り、水で我慢した。
 うーん、と思いっきり肩を伸ばして、ベッドにぼすんと横たわる。
 久しぶりに、何も予定がない休日だった。
 休息も大事ですよう、と敬愛すべき先生も言っていた。それに、誰がどういった理由で“お嬢様”の部屋に訪ねてくるかわからない。いつ訪ねても留守だった、なんて噂になっても困る。
 派閥のカリキュラムは案外と過密ではなかったので、空き時間はいくらでも作れた。戦闘訓練も欠かせないし、時折アルバイトに街に出ることもある。何かと顔の広いパッフェルに紹介してもらい、化粧で人相を変えかつらを被り、手紙の配達員からカフェの店員までなんでもやった。貯金の額はなかなかに増えてきている。準備が出来たら、派閥を発つために。
 空気の入れ替えに開けていた窓から、冷たい風が舞い込んだ。頬の温かさを奪っていくようだったが、陽の光はあたたかく感じる。
 もうじき、アルサックの花の蕾が膨らんでくるだろう。桜に似た花を見る度、ちょっとだけ、苦い気持ちになる。リィンバウムに連れて来られたのは、こんな季節だった。それが一度目の春。二度目の春は、派閥にやって来た頃。三度目の春が、そろそろと近づいてくる。
 そうして今日、その日が来た。
「――――あ。」

 その時、召喚師見習いの青年は目を覚ました。何だか、変な感じだったのだ。胸がざわつくような、どくりと脈打つような、違和感。でもそれはすぐ消えて、気のせいだった、ともう一度目を瞑ろうとする。
「……いい加減に起きたらどうだ、マグナ?」
「うわわわわ!?」
「全く……何度言えばわかるんだ、君は!!」
 ごめんごめん、と兄弟子に謝っているうち、さっきの感覚は忘れてしまった。

 その時、蒼の派閥の総帥は、目を閉じた。幼い風貌の彼の人がそうすると、うららかな午後の陽射しを感じ入り、まどろんでいるようにも見えた。
「どうかなさいましたか、エクス様?」
「うん、ちょっとね」
 控えていた従者は、そうは思わなかったらしい。敏い彼女のことだ、彼からほんの少し漂う、ひりつくような緊張感をわずかに感じ取ったのだろう。
「彼女に、お出かけしてもらおうかな」

 その時、人もどきの召喚獣は、目を見開いた。みるみるうちに、肉が歪んでいく。ぼこり、ぼこりと体のあちこちが脈動し、まるで、内側から何かが生まれてくるみたいに。勝手に突き出てくる肉は、人の腕や足にも似ていた。
「ああ、あ、ああああ」
 来た、来た、遠くの地に、肉を呼ぶ、何かが来た。ほんとうは叫び出したかった、それでも絶叫を押しとどめて吐息にした。蹲って、胎児のように丸くなる。肉が零れ落ちないように。そうして、かみさまに祈った。
「バルレル」

 その時、悪魔は。
『……おい』
 面倒くさそうに、一言だけ、呼びかけてやった。


 少年は、声を聴く。
 少年は、喚ばれるべくして呼ばれたのかもしれない。
 少女には、聴こえなかった。
 少女は、喚ばれてはいなかった。
 決して、呼ばれてはいなかった。


 ――その時、少年は荒野にいた。黄色い大地はどこまでも乾いていて、吹きすさぶ風が砂を運ぶ。
 何が起こったのか、理解はいつまでも追いつかなかった。そのせいか、逆に行動は冷静だった。辺りを見渡して、そこが巨大な穴の底だと気付くと、這い上がろうとする。きれいな石が落ちていれば拾い、折れた剣を見つけて首を傾げる。
 さっきまで、公園にいたはずだったのに。
 斜面を登る少年を取り囲むように、いくつもの人影が待つ。地に伏したたくさんの死体が、少年を待つ。
 その日が来た。